太陽の消えた国、君の額の赤い花
49
ノーアは弾かれたように駆け出し、ゲイルの胸に飛び込む。
幻ではない彼はノーアを優しく抱きとめ、その腕で少し痛いと感じるくらいにきつく抱きしめた。
そのぬくもりが、強さが、現実なのだとノーアに訴えてくる。
「ゲイル、ゲイル、ゲイル、ゲイル――――」
何度呼んでも足りない。
ずっと求めていた人の名前だ。
「……悪い、遅くなった」
ゲイルはノーアの髪を優しく撫でながらそう言う。
低く響く、心地よい声。
ああ聞きたかった音だとノーアの瞳からまた涙が溢れる。
歓喜で何も言えなかった。ただノーアは首を横に振り、温かな彼のぬくもりに甘えた。
「掃除が、思ったよりも時間がかかってな」
ゲイルが苦笑しつつそう呟く。
「……掃除?」
いったい何のことだろうとノーアが首を傾げる。すぐ上のゲイルの顔を見上げると、ゲイルは柔らかなノーアの髪を撫でたまま微笑んだ。
「ノーアが憂いなく過ごせる場所を作るための掃除だ。オルヴィスで暗殺を目論んだ奴らを全部炙り出して――まぁ、そういうことだ」
ノーアがオアシスに匿われている間、ゲイルはずっとノーアの為に動いていたというのか。ノーアはその事実を本人から聞かされ、顔を赤く染めた。
――嬉しいと、そう思ってしまうのはいけないだろうか。
「怪我してたのに、どうしてそういう無茶するの」
私なんかの為に、という言葉は自惚れのように感じて言えなかった。
週単位で治るような怪我ではなかったはずだ。ノーアの脳裏にはまだあの鮮血が焼きついている。
「どっかの寂しがり屋な聖女様を待たせるわけにはいかなかったからな」
かあぁ、と羞恥でノーアは顔を真っ赤にする。
砂嵐が起きたことも、オアシスに異常な雨が降り続いたことも――ゲイルの耳に届いているのだろう。彼の言う人が自分を指しているのだと嫌でも分かる。
「あんまりオアシスに迷惑かけるわけにもいかないから、急いだんだ」
「……迷惑なんて」
かけてないと言い切れない自分が情けなかった。
保護者のようなゲイルの発言を気にしないでいられるほど、明確な関係があるわけでもない。ノーアは思わずゲイルの胸を押して離れる。
その細腕をゲイルが逃がさないとでも言いたげに掴んだ。
「――――悪い、違う」
ゲイルが低く呟く。
頼むから逃げないでくれ、とさらに言われてしまえば、ノーアはもう動けなかった。
「俺が、早く会いたかったんだ」
大きな手がノーアの頬に触れる。
榛色の瞳に心を奪われてしまったかのように何も考えられない。目が離せない。
「本当はもっと早くに迎えに来たかった。怪我をしてようが、敵が潜んでいようが――早く、こうして触れたかった」
いとおしげに見つめてくる目にノーアは捕らわれたままだ。
――苦しい。
口を塞がれているわけでも、水の中にいるわけでもないのに上手く呼吸ができない。胸に何かがいっぱいに詰まってて、そのせいなんだろうかとノーアは思う。
ただここで言わなければならない言葉があることだけは、本能で分かった。
「――――――会いたかった」
私も、という言葉は声にならなかった。
ゲイルの唇がノーアのそれを塞ぐ。
熱も、吐息も交じり合って、一つになる。
長い長い口づけの後で、ノーアは真っ赤になったままの顔を隠すように俯く。
「……どうしてキスするの」
ふて腐れたようにも聞こえるそのセリフに、ゲイルは意地悪げな笑みを浮かべて答えた。
「分からないか?」
頬に添えられた大きな手はそのまま、親指がノーアの唇をなぞる。
分かっていたって、言って欲しい言葉はあるでしょう。
小さくノーアがそう主張すると、ゲイルはくすくすと笑ってノーアを優しく抱きしめた。その耳元で、そっと呟く。
耳にかかる吐息は熱く、ノーアの体温はさらに急上昇する。
言って欲しかった言葉に違いはなかった。けれどこれは心臓に悪い。
足に力が入らなくなって、ノーアはゲイルにしがみつく。
そんなノーアに追い討ちをかけるかのように――
「ノーア」
名を呼ばれてノーアはゲイルを見上げた。
優しいキスがノーアの額の赤い花に落ちる。
「――いつになったら、俺の后になる?」
ぬくもりはすぐに去り、吐息が額にかかる。
ならないという選択が残っていないことには不満はなかった。
顔を真っ赤にしながら見上げると、ゲイルは悪戯に成功した子供のように意地悪げに笑う。
こんな不意打ちは卑怯じゃないだろうか?
今すぐに、とそう答えても良かった。
でもそれはなんだか悔しくて――ノーアはひらめく。
イシュヴィリアナにおいて国王は太陽の象徴で、聖女はその光を受けて輝く月だった。
太陽は一度消えた。月だけが輝きを失いながら夜空にひっそりと佇んでいた。
だけど今、もう一度月が輝き始めた。
月は新しい太陽を見つけ出した。
意地悪な彼に、ほんの少し意地悪な謎かけを。
「……あの国に、太陽が戻ったら」
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