太陽の消えた国、君の額の赤い花

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「いつまで聖女を生かしておくのですか」
「生かしておくだけならまだいい。あの女を后にするのは危険です」
「どこかに――そうあの塔でもいいでしょう。幽閉して一生外に出さない方が……」


「陛下、ご決断を――――」




 頭痛がする。
 いつもいつも同じようなことばかり言いやがって。
 他にすることがあるだろう。




 苛立ちを押さえながらあの少女に会いに行く。
 ほんの少しずつ、会話をしてくれるようになった。もう少し心を開いてくれるようなら、あの塔の外に連れ出そうとも考えてる。話に聞くと、聖女はあの塔から出ることが出来なかったらしいから。
 月の塔はそれほど遠くない。周りのうるさい連中がいなければ、出来るだけ顔を出したいと思う。一人できっと彼女は心細いだろうから。
 愛馬からおり、入り口の兵に声をかける。
「――聖女は?」
 彼らには様子をいつも聞くようにしている。毎朝禊に行くらしいから、彼女と言葉を交わす機会は多い。
「お変わりなく。今は奥の花園にいらっしゃいます」
 わかった、と答えて塔に入らずに花園へ向かう。彼女に会いに来ているのだから彼女のところへ行くのは当然だ。
 塔の敷地は広い。塀に囲まれた中に広い庭がある。色とりどりの花が毎日咲いている。そのさらに奥に、聖女が身を清める泉があるらしい。


 様々な花が咲き乱れる花園に、ノーアはいた。
 月光を集めたかのように輝く銀の髪に、ゲイルは思わず目を細めた。
 小鳥のさえずり、木漏れ日、花の間を舞う蝶。それはまさに楽園のようで、厳しい現実からゲイルをほんの少し和ませてくれる。
「――――……」
 声をかけようと思って、なんと呼べばいいのか分からず口を閉じた。
 しばらくノーアの姿を眺めていたいような気もして、ただその場に立ち尽くしたまま温かい日の光を全身に浴びる。
「……オルヴィス王」
 ノーアがゲイルに気づき、振り返る。
 わずかに微笑んでゲイルはノーアに歩み寄った。
「何か、困ったことはないか」
 いつも必ず、最初にこう問いかける。
「いいえ。ここは慣れ親しんでいる場所だもの」
 そうしてノーアは必ずこう答えるのだ。決まりごとのように、会うたびに交わされる言葉。
 普通の姫なら、宝石やドレスを贈れば喜ぶのだろう。だがノーアはそんなものでは微笑んですらくれない気がした。だからゲイルはどうすればいいのか分からず、いつも大したことを話せなかった。
 ノーアはあれからさっぱりと、自らを傷つけようとはしない。それが自分には無理なことだと悟ったのかどうか、ゲイルには知る術がなかった。逃げる様子もないので、塔の入り口に兵がいる以外にノーアを拘束するようなものはない。
「――葉がついてるわ」
 ノーアが手を伸ばし、それでもゲイルの赤い髪には手が届かなかった。必死で背伸びしている様子が微笑ましく、ゲイルは少し屈んだ。
 ノーアの小さな手がやっとその葉を捕まえ、ゲイルの髪に触れる。
「本を読んでたのか」
 大きな木の下にある一冊の本を見つけて、ゲイルが問う。
「ええ、天気が良かったから」
「では、俺もここで一休みするか」
 置いてある本のすぐ隣に腰を下ろし、木に背を預けた。
 ノーアが少し戸惑う素振りを見せながら、そっとゲイルの隣に座る。かすかにノーアから甘い香りがして、ゲイルは何の香りだろうと思う。
「……頻繁に塔にやって来るけれど、国王ってそんなに暇な職業なの?」
 本に目を落としながらノーアが問いかける。
 皮肉だろうな、とゲイルは苦笑した。聖女であるノーアは王家に詳しいはずだ。国王が多忙であることくらい知っているだろう。――愚かな王でなければ、の話だろうが。
「暇を見つけて、来てるんだ。話し相手くらいほしいだろう」
「……話し相手くらいだったらあなたじゃなくても事足りるわ」
 最近は月の塔にいる女官とも、それなりに会話を交わすようになったらしい。女官からそう聞いている。
「ここは思いのほか居心地がいい。城はどうにも落ち着かない。早く身を固めろだのうるさい爺どもが多くて――」
「まだ、私を后にするつもりなの?」
 困惑した、ノーアの声。
 ああ、身を固めろという意味をそうとったのだろうか、とゲイルはぼんやりと思う。あの爺どもはきっとノーアを相手にとは考えていないだろうが。
「俺はそのつもりだ。おまえが良いと言うならすぐにでも城に迎える準備を始めるが? 俺の妻になるくらいなら死んだほうがましだと言ったのはおまえだぞ」
 意地悪なセリフかな、と思ったが、あえて言う。
 案の定ノーアは黙り込んで、読みもしない本を睨みつけていた。


 死ぬことも出来ないが、俺の妻になる気もない、か――。


 少し心が痛む。
 ほんの少しずつだが、確かに打ち解けてきてくれていると思ったのに。
「偏屈爺どもは、おまえを后に迎えるのに猛反対してるがな。あいつらは自分の可愛い娘なり孫なりを王妃にしたいんだろうな」
 ――沈黙。
 ゲイルはため息を隠さずに吐き出した。
 このことに関してはノーアは話す気がないらしい、彼女から話し出したことだというのに。
「…………オルヴィスには後宮はないの?」
 ――沈黙。
 今度はゲイルが黙る番だった。
 まさかノーアからそんなことを聞かれるとは思わなかったのだ。
「……一応形だけは残ってるが、俺はそんなものつくる気はない。金の無駄だし、俺は何人も妻を持つ気はない」
「……そう――イシュヴィリアナにも昔はあったそうよ。陛下が廃止なさったけど」
 ぱたん、とノーアは本に栞を挟んで閉じた。
 そしてゲイルの榛(はしばみ)色の瞳をじっと見つめた。
「でもだったらなおさら理解できない。わざわざ敵国の女を后にするなんて。殺してくれと言っているようなものだわ」
「おまえにはその権利があると思ってる」
 きっぱりとゲイルは即答した。
 彼女には少なくとも一度、ゲイルを殺す機会があったにも関わらず、彼女はゲイルに傷一つ負わせなかった。
「……イシュヴィリアナの聖女を后にすれば、民が懐柔できるとでも? 無駄なことよ。民は聖者がいなくても生きていける」
 いつかアジムに言われたことを、ゲイルに言う。
「しかし聖女を殺せばイシュヴィリアナの民から反感を抱くだろうな。下手すれば反乱が起きる」
「――あなたは愚かだけど、馬鹿じゃないのね」
 ノーアが苦笑した。
 彼女なりの精一杯の反抗だったのかもしれない。
「おまえは、賢いな」
 ゲイルは素直にノーアを賛美した。
 十六歳という若さでそれだけ理解していれば十分だ。見る限り基本的な教養もあるし、礼儀作法も備わっている。ただの貴族の美しいだけの娘よりも、何倍も魅力的だった。
「私を殺せという意見もあるんでしょう? 大丈夫なの。無視して」
 冷静なノーアの言葉に、ゲイルは苦笑した。
「安心しろ。おまえの身は守る」
「――そんなこと言っても絆されたりしないわ。あなたはちゃんとしたお姫様をお后様にしたほうがいいと思う」
 ふい、とノーアが顔を逸らす。
 少し照れているように見えるのは錯覚なのだろうか。
「俺としてはおまえ以外は視野に入れていないんだけどな」
 最初はもちろん利用価値だけで考えた。
 イシュヴィリアナの聖女。神の愛娘と呼ばれる少女。殺せば民から不満の声が湧くのは分かりきっていたし、逆に后にすればイシュヴィリアナの民が従順になるだろうと思った。
 ゲイルから見れば正直ノーアは幼いと思う。しかし芯はしっかりしていて、聡明だ。美しく着飾ることしか考えていない貴族の娘なんかよりよっぱど良い。
「……つりあわないわ。年齢も、外見も」
 そうだろうか。年の差は九歳離れているが、そんなものが気になるのは今のうちだけだろう。外見だって、気にするようなものだろうか? ノーアの美しい、絹糸のような銀の髪も、青い瞳も――肌は透き通るように白く、手足は強く握り締めれば簡単に折れてしまいそうなほどに細い。
「それに」
 ノーアは呟く。
 いつになく暗い瞳だった。


「私、あなたを信じられない」


 頭を殴られるような衝撃だった。
 どうしてこんなに胸が痛むのか、ゲイルには分からない。
 けれどたぶん、自分は彼女に信頼して欲しかったのだ。
 彼女を支えられる人間になりたかったのだ。






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