太陽の消えた国、君の額の赤い花

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 ――全身の血が凍った気がした。


 いや、本当に凍り付いてしまったのかもしれない。こんな体験は初めてだった。




「陛下、月の塔で聖女が刺されました――」








 その報告を聞いた瞬間に飛び出した。仕事なんて放っておけばいい。
 誰が、何のために、あんなに小さなか弱い少女を傷つけるというのか。そう考えただけで犯人に対して激しい怒りが湧き上がった。
「報告は全部聞くものでしょう。陛下」
 ついて来た幼馴染兼有能な部下であるロハムは、呆れたように呟く。
 ゲイルの愛馬に追いつくことができるのはこの男くらいだろう。
「うるさい。目で確かめたほうが早い」
「一応聞いといてくれよ、聖女を刺した犯人は女だそうだ。兵が駆けつけた時には既にそいつは自害していた。聖女は腹部を刺されて現在は意識がない。すぐに応急処置を施されておまえよりも早く城の侍医が向かった」
 自分よりも他の人間に早く知らせがあったことを腹立たしく思いながら、医者がすでにノーアの手当てをしているだろうということがせめてもの救いだった。
「――命は」
 助かるのか、というゲイルの呟きに、ロハムは冷静に答える。
「そこまで詳しいことは報告されていない」
 チッ、とゲイルは舌打ちする。
 やはり自分の目で確かめるしかない。
 どうしてこんなにも自分が動揺しているのか、少し不思議に思いながらもゲイルは馬を走らせた。
 そう可笑しいことばかりだ。彼女に関しては。
 王子を愛していると言われた時も、自分を信じていないと言われた時も、そして今も。こんなに心が揺れているなんて。
 答えが分からないほど子供でもない。
 とうの昔に気づいている。


 自分は、あの幼く気高い、イシュヴィリアナの聖女に心を奪われたのだと。








 ――暗い。
 ――寒い。
 楽園はどこだろう。あの優しい陛下はどこにいるんだろう。……ニルは、いるのだろうか。いないで欲しい。
 ノーアはきつく目を閉じたまま、暗い闇の中に漂っていた。
 手足に感覚はなく、瞼が重くて開かない。
 死んだのだろうか。
 ……死ねたのだろうか。
『ならば何故、先ほどオルヴィス王の名を呟いていたのです? 何故あんな顔で――』
 どんな顔をして、私は彼の名を呟いていたんだろう。
 ノーアには分からない。分かるのは、自分がニルを裏切ってしまったのだということくらいだった。
 やはりノーアはゲイルを許してはいけなかった。信じてはいけなかった。ほんの――ほんの少しでも、心を開いてはいけなかった。
 信じるなと自分で言い聞かせながら、彼の訪れを心地よく感じていた。時々見せる、穏やかな微笑みが好きだった。日だまりにいるように、優しく包み込まれるような眼差しに安堵していた。
 しかしそれはニルに対する裏切りだったのだ。
 だから、これは当然の報い。
 ――私が受けるべき当然の罰なんだ。





 寝台に横たわるノーアは青白く、どこか生気に欠けていた。
 セリが目を真っ赤にして泣いている。それを宥めている他の女官は比較的冷静だった。
「――……陛下」
 セリがゲイルにいち早く気づき、顔をあげる。
「…………聖女は」
 一階の、いつかゲイルが一晩泊まった部屋だった。塔の最上階までノーアを運ぶ余裕はなかったのだろう。
「意識が戻りません。かなり出血したようですが、傷は塞ぎました。幸い急所は避けてましたし、内臓に傷もありません。ですが……」
 医師が言葉を濁らす。ゲイルは眉を顰めて、続きを促した。
「何か問題でも?」
「――屈強な兵士とは違います。このように華奢な方ですし、体力もない。このまま意識が戻らないようだと、危険かもしれません」
 ゲイルは血の気のないノーアの顔を見つめる。
 ぴくりとも動かないそれは、まるで人形のようだった。死んでしまっているのではないだろうかと、不安になる。
「……そうか。引き続き彼女についていてくれ」
 静かにゲイルが医師にそう告げ、ノーアの枕元まで歩み寄る。
 今までそこにいたセリが場所を空け、他の女官に引きずられるように部屋を出て行った。
 細い絹糸のような銀の髪をそっと撫でる。そのまま流れるように触れた頬は驚くほどに冷たく、そして滑らかだった。
「……ロハム。報告の続きを」
 ノーアの顔を見つめたまま、ゲイルが静かに命じる。
 今まで黙って、扉に寄りかかりながらゲイルを見ていたロハムは姿勢を正すと淡々と話し始める。
「聖女を刺したのはもとはこの塔に住んでいた修道女で、名前はニル・ルヴィータ。年齢は二十八歳。門以外のどこかから侵入した模様。今侵入経路を兵に探させている。イシュヴィリアナがオルヴィスの占領下になった時に、ここから少し離れた修道院に逃げ、保護されている。その際聖女の名の書かれた書状も持っていた……今のところはこのくらいだ」
「……なぜ聖女を刺した?」
「俺が知るかよ。本人に聞け。もう死んでるけどな」
 もしも死んでいなければ、考えられるだけの残酷な方法で殺している。
 ゲイルはそう呟いた。
 ロハムは聞かなかったふりをして、沈黙した。
「その女の死体は?」
「現場にある。シーツをかけられてるけどな」
 ゲイルの問いに、ロハムは即答した。
 静かに問いかけるゲイルを見て、相当に怒っていることは察し出来る。あまり刺激しないように最低限の言葉で答えた。
「――野犬の餌にでもしてしまえ」
 吐き捨てるように言われたその言葉に、ロハムはため息を吐き出す。
「聖女様の知り合いなんだろ? そんなことしたら目が覚めた時にどう言い訳するんだよ?」
「自分を刺した人間の心配をするか?」
 ゲイルがやっとロハムを見て、そして苦笑した。
 たぶん、この少女ならするんだろうと心のどこかで思ってしまった。
「相手は聖女様だからな。目が覚めてから決めても遅くないだろう――恨まれるのは嫌だろう?」
「もう恨まれてる」
 そっとノーアの頬を撫でながらゲイルが即答した。
「――なんとも難儀な女に惚れるな、おまえは」
 はぁ、とため息を吐きながらそう呟く幼馴染を驚いたように見つめながら、ゲイルはいつ気づかれたんだろうと思う。
「なんだよその顔は。俺を誰だと思ってる? オルヴィス王の幼馴染様だ。見てりゃバレバレなんだよ。――朝になったら帰るぞ。陛下」
 ひらひらと手を振って部屋から出て行く幼馴染を、ゲイルは呼び止めた。
「ロハム。悪いが頼みがある」
 何を今更をいった顔で振り返ったロハムに向かって、ゲイルは真剣な顔で城に戻るように言った。
「――なんで?」
「目を通さなければいけない書類があるから、全部持ってきてくれ」
「はぁ!? 全部!?」
 いつも執務室の広い机に何束も積み重ねられたそれは、どれほどの量があるか分かっているのだろうか。
「なんでそんな書類持ってこなきゃならん!?」
「城には戻らない」
 きっぱりと、ゲイルは告げる。
「彼女が目覚めるまでこの塔から出ない。書類はすべて運べば済むだろう。朝議は――二、三日無視してもかまわないだろう。どうせオルヴィスに戻ろうだの、とっとと聖女を殺せだの監禁しろだの挙句には自分の娘はどうだのと意味のない話ばかりだ」
「……いやぁ、あの爺さんどもにしてみりゃ真剣な話なんだろうよ」
 ロハムは開き直ったゲイルを見て呆れながらも、結局は彼に力を貸してしまう自分は馬鹿だな、と思う。
「しゃあねぇ、行ってきますよ。ええ、国王陛下からのお願いですからねぇ」
「頼んだ」
 馬で運ぶよりも馬車を使った方が効率がいいだろうな、と考えながら、ロハムは入り口で振り返る。
「いいこと教えてやろう。国王陛下」
「……なんだ。さっさと行け」
 鬱陶しげにロハムを睨みつけてくるゲイルを、ロハムは意地悪そうに笑いながら見る。


「お姫様は王子様の口づけで目覚める。物語の黄金のルールだ」


 そう言い残して、ロハムは部屋から出て行った。
 馬鹿なことを――とゲイルは失笑しながら、ノーアの顔を見つめる。
 いつも赤く色づいている唇も、今は血の気のない紫色で。
 そっとその唇に手で触れて、かすかな呼吸を感じて安堵する。試してみようかなんて気分で、顔を近づける。
 

『……愛していたのか、王子を』
『愛していたわ』


 あと数センチもすれば唇が触れるだろうところで、ゲイルはそんなやりとりを思い出す。
 彼女の返事に迷いはなかった。
「……王子様は、俺じゃないか」
 自嘲的に呟き、それでもせめてもの抵抗でノーアの額の、赤い花の痣――聖痕に口づける。
「――――……ノーア」
 何度も口にしようとして出来なかった、狂おしいほどに愛しいその響きに、ゲイルは切なくなる。
 間近で彼女を見つめても、その目が開くことはない。
 あの澄んだ青い瞳を覗かせることはない。




 やはり自分のキスでは目覚めない。
 楽園で、王子に死の口づけでもされてるんだろうかなんてゲイルは苦笑する。


 それがありえないことだと、ゲイルは笑い飛ばすことができないから。






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