翠くんは遅めの昼食のピラフは全部平らげて、小さく「ごちそうさま」と呟くと、またいそいそと部屋に籠もっていった。うむ、まだ懐いてはくれないらしい。そうやすやすと餌付けは成功しないか。
もうすぐ夕方だ。冷蔵庫の中をチェックすると、高校生男子のお腹を満たしてあげられるほどの食材がない。んー。しかたない、買い出しに行こう。
「翠くーん。あたし買い物に言ってくるねー？」
階下から声をかけるが、返答はない。が、聞こえているはずだ。
エコバックをしっかりもって出発。徒歩十分圏内にスーパーがあるのはとても便利だ。もう少し遠出すれば大型ショッピングセンターもある。
あー。どうせならさっきの電話で蒼くんに翠くんの好きなものを聞いておけばよかったなぁ。胃袋つかむにも戦略は必要だよね。今時の男の子ならお肉のほうが好きかな。でも今日のあたしの気分的には魚なんだけど。
ぐむむ、と悩んだ末に自分の欲に従うことにした。翠くんの好みに答えるのはまた次回に持ち越しだ！
さらに飲み物やらなにやらと追加していくと、買い物カゴがどんどん重くなる。これはあたしの許容量をオーバーする！ しかしお醤油が安いから買って帰りたいんだよ主婦としては！
徒歩じゃなくて自転車にすればよかったなぁ、と後悔していると、ふっ、とカゴが軽くなった。
「……あれ？」
驚くと、すぐ隣に美人さんが立っている。誰だ。翠くんだ。
「翠くん」
「持つ」
「あ、ありがとう」
あたしが重いと感じていたカゴも、翠くんはひょいと軽々と持っている。おお、さすが男の子。頼もしい。
「他には買うものあんの」
「もう終わりだよ。翠くんほしいものある？」
お菓子とか食べたいものあるかな。我が家にお菓子はないんだよ。なんでってあいつらはあればあるだけ食べてしまう魔性のものだからさ。誘惑に負けると増えるんだよ、お肉が。
「別に」
「じゃあレジへお願いします」
レジに並ぶと、翠くんはすっと列から抜ける。ちらちらとお姉さんや奥様方が翠くんへ視線を送っているのがわかった。うんうん、翠くん美人さんだもんなぁ。まつげなんかはあたしより長いと思う。男の人としては少し華奢かもしれないけれど、もやしって感じじゃないし。
会計をすませて手早くエコバックに詰め込むと、翠くんは自然な仕草で重いエコバックを持ってくれる。おおう、ジェントルマン。翠くんなにげに馴れてるんじゃないかな、こういうの。彼女さんがいるんだろうなぁ。
「ありがと」
手ぶらで楽チンなあたしは翠くんのあとを追いかけながらお礼を言う。翠くんはちらりともこちらを見ずに「別に」と答えた。ふふふ、高校男子のかっこつけですよね、その「別に」は。お姉さんにはバレバレですよ？
「よくあのスーパーだってわかったね？」
翠くんのおうちもここからそれほど離れていないところにあるから、土地勘はあるだろうけど。他にももう一軒スーパーあるけど反対方向だ。
「なんとなく」
ふぅん？ とつぶやいてあたしは翠くんの隣を歩いた。翠くんはエスパーなのかな。
帰宅すると翠くんはキッチンに荷物をおいて、またするりと二階へ逃げていく。ううむ、わざわざ荷物持ちに来てくれたから今度こそ懐いてくれたかと思ったけど、そう簡単にはいかないか。
しかし昼の餌付けも少しは効果があったらしく、夕飯の準備をすませて「ごはんだよー」と呼ぶと、のそのそと翠くんは引きこもりスペースから出てきた。今日の夕飯はアジの塩焼きにお味噌汁、ほうれんそうのおひたしでございます。ええ、和食にしました。あたしが食べたいものを作ってなにが悪い。
「……」
無言、無反応だ。
いやさすがに食べ盛りの高校生男子の受けはよくないとは思ったけど、さすがに無反応はいかがなものですか。
「嫌いなものあった？ アレルギーとか」
「あんま、魚は好きじゃない」
心なしか少し不機嫌そうに、翠くんが呟く。それはあれだね、本当はストレートに嫌いだって言いたいんだね？ しかしお姉さんは好き嫌いには優しくないよ？
「すぐに食べられるものはこれだけです。好き嫌いしないで食べてください」
ええ、お菓子もだけど、すぐに食べられるものは買わないのでね！ 調理しなければ空腹を満たすものはないですよ！
むすっとして翠くんは夕飯を食べる。ほらみろ、食べられないわけじゃないんでしょ。わがままはいけないよ、わがままは。
「明日は翠くんの好きなもの作るよ。なにが好き？」
「別に、なんでも」
「そういうこと言うと明日も魚になるよ」
にっこり笑ってそう言うと、翠くんは口ごもり、視線を泳がせたあとで小さく「肉のほうがいい」と答えた。肉て。もう少し何かないのか、翠くん。
「わかった、じゃあ明日はお肉ね」
くすくすと笑いながら答えると、翠くんは「ん」と頷く。
嫌いだと言いながらもお皿は綺麗になっていた。なんだかんだ言いながらお魚食べるのうまいじゃないですか翠くん。
久しぶりに一人じゃない食事はいつもよりちょっとおいしく感じた。
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