魔法伯爵の娘

未来へ繋ぐ(5)


 クリスと対面したタシアンはなんとも言えない顔をしていた。クリスが男であるという前情報と、目の前の美少女が男なのかという疑問が頭の中でごちゃごちゃになっているらしい。
「……まて。俺の認識が間違ってるわけじゃないよな?」
「クリスは男だよ」
 アイザはさらりと答える。もちろんルーが周囲から声を遮断しているので聞かれる心配はない。
「それはよかった……いやあまりよくないが」
 同時にアイザのルームメイトだということも思い出したのだろう、タシアンは一瞬だけ渋い顔をする。
「やるからには完璧にやる主義なので。心配されなくても高位の精霊とやり合って勝てるほど俺は強くないですよ」
「なんでルーとクリスがやり合う話になるんだ?」
 きょとん、と目を丸くするアイザをクリスとタシアンが若干呆れたような目で見る。なにやら馬鹿なことを聞いたと思われているらしい、ということはアイザにもわかった。
「……おまえはもう少し自分が女だってことを自覚しろ」
 ため息を吐き出しながらクリスがアイザの額を小突く。
(……もしかしてあれか、男女が同じ部屋でとかそういう話か)
 クリスと同室となったときに散々ガルが騒いだことを思い出す。男とか女である前に、クリスは友達なのに、とアイザは思うのだが過保護な人々にとってはそう簡単に割り切れるものでもないらしい。
「先にニーリーに知らせに行かせてる。向こうも待っているだろうから早く行こう」
 クリスはそう告げると、先頭に立って道案内を始めた。



 地下道を抜けて庭園に出る。暗がりから光のある場所に出た瞬間の眩さにはいつも慣れない。
「大丈夫か?」
 立ちくらんだように目を細めるアイザに、タシアンが声をかける。初めてこの道を通ったはずのタシアンはしゃんとしていた。
「平気。眩しかっただけだよ」
 手を貸そうとするタシアンにアイザは笑いながら答えた。そんな兄妹を見ながらクリスは立ち止まる。さすがにこの道を使い慣れているクリスは眩しさに目がくらむこともないらしい。
「……それにしても、こんなに簡単に城の中に入れて大丈夫なのか」
 ミシェルの待つ部屋に向かいながらタシアンが呟く。普段警護をしている側の人間として気になるらしい。
「王族と、その護衛にしか教えられていない通路ですから。それに使ったときには魔法石が反応してわかるようにされてますし、今のところ問題はないですね」
 タシアン相手だとクリスは丁寧な口調になる。そのことに違和感を覚えながらアイザは「ん?」と声を零す。
「魔法石?」
「さっきの出口についている。人の出入りがあると対になっている魔法石が光る仕組みだ」
「気づかなかった……」
「気づかれないようについてるからな」
 クリスはしれっと答えているが、ふとこれも重要な機密だったのではとアイザは唇を引き結んだ。



 ミシェルが待っているであろう部屋までの道のりはさほど遠くない。アイザはそれをよく知っている。

 ――カシャン、とティーカップが白い手から落ちる。幸いにして高さがなかったので割れることもなく、お茶が注がれる前だったので火傷の心配もない。
 ミシェルが待つ部屋の扉を開けた瞬間の出来事だ。ミシェルはその碧《みどり》色の瞳を見開いて、アイザの後ろに立つ男を見つめる。
「……タシアン?」
 震える声が、男の名を呟く。
 このときアイザは、手のひらにじっとりと汗をかいていた。ミシェルに知らせることなくタシアンを連れてきたのだ。その責任はアイザが負うべきである。
「……困ったわ。幽霊でも見ているのかしら」
「勝手に殺すな」
 何度か瞬きを繰り返したあと、ミシェルは息を吐き出しながら首を傾げる。幽霊かと言われた本人は眉間に皺を寄せ、遠慮なくつかつかと部屋の中へ足を踏み入れた。
(……あれ?)
 その様子はまるで昨日も会っていた友人を迎え入れるかのようでもあり、アイザは困惑する。思わずクリスと顔を見合わせた。
「なんだ。思ったより落ち着いているんだな。修羅場になるかと思っていたんですけど」
 姉上、とクリスは意地悪そうに笑う。
(素直に口に出さなくてもいいんじゃないかなクリス……!)
 正直、本当に正直に話せばアイザもそれは想像していた。感動的な再会になるか、あるいはミシェルがタシアンに平手打ちくらいはするのではないかと。
「これでも驚いてはいるのよ。……会いに来るとは、思わなかったから」
 ミシェルはお茶を注ぎながら苦笑する。タシアンは一瞬居心地悪そうに口を引き結んでいた。
「それじゃあ俺たちは席を外します。積もる話もあるでしょう」
 俺たち、ということはアイザも含まれているらしい。
「あら、お茶の用意してあるのに」
「何が悲しくて姉の恋愛問題を目の前で見届けなきゃならないんですか」
(……わたしはわりと気になるけど、邪魔だろうな)
 タシアンは異母兄だし、ミシェルは友人だ。その二人の問題ならアイザとしては気になるし力になりたいけれど――二人に必要なのは対話と時間だ。そこに、他人は必要ない。
「ニーリー」
「はいはーい」
 クリスが名を呼ぶだけで、既に部屋に控えていたニーリーは三人分の茶器をトレイにのせてちゃっかりお茶請けの菓子を多めに拝借する。
「……いやカップだけでいいだろ菓子くらいすぐ用意するって」
「えー。突然の訪問を知らせるために急いだニーリーさんは腹ぺこなんですよ?」
 ニーリーは拝借した分はすぐに食べるつもりらしい。その上で追加を要求しているようだ。
 それじゃあ、あとはお二人でと言うように部屋を出ていくクリスとニーリーを見て、アイザは「えっと」と困惑する。
「……じゃあ、また、あとで……?」
 とりあえずタシアンとミシェルにそう告げてクリスたちのあとを追う。その微笑ましい姿にミシェルは「ふふ」と笑みを零した。
「クリスみたいに図々しくなれるほど兄には慣れてないのね」
「……あれでも遠慮はなくなってきたほうだ」
 生まれた時から共に育ったのならばミシェルやクリスのように遠慮のない距離感もうまれるだろう。
 しかしアイザはもともと人との付き合い方が下手で、いくら血の繋がりがあると言われても兄たちに素直に甘えることすら躊躇ってしまうところがある。遠慮がないという点なら、ガルのほうがはるかに上だ。
「……ところで、どうしてそんなに仏頂面なの?」
 タシアンはもともと愛想のいい男ではないが、かといって常に仏頂面というわけでもないはずだ。少なくともミシェルの記憶ではもっと表情豊かだった。
「……おまえが女言葉を使っているのに慣れないだけだ」
「確かにあの頃は『男』だったから話し方だって変えていたけど……それほど変わらないでしょう?」
 ミシェルがことん、と首を傾げる。その仕草はタシアンが知っているものと変わらない。しかし当時の『ルームメイト』のミシェルは女性らしさを極力消していて、少年らしさを強調していた。あの頃は女の子が何をしているのかと呆れたが、こうして『王女』のミシェルと対するとまるで違っていたのだと思い知らされる。
 目の前に座るのはただの女で、そしてこうして会いに来た自分もただの男なのだと。
「……見た目も違う」
 ミシェルは当然のようにドレスを着ている。真っ直ぐな金の髪は飾り気なくおろされているが、光を受けてきらきらと輝く様はそれだけで宝石のようだし、学生の頃は日に焼けていた肌も透き通るように白い。
「曲がりなりにも王女が男装しているわけにはいかないでしょう」
 何を言っているの、と呆れたように笑うその顔は当時のままなのに、あれから流れた月日をまざまざと教えてくる。
「王子はアレなのにか」
「クリスはまだ試練の最中だからね」
「女にしか見えなくて驚いた」
「完璧主義者なの、あの子」
 くすくすと笑うミシェルに、タシアンもつられて笑った。一目見た時のアイザのルームメイトは、どこからどう見ても少女だった。アイザよりも女らしいと思ってしまうほど。
 しかしそう感じとったタシアンに対して発せられる声は確かに男性のもので、まるで混乱するタシアンに男だと見せつけてきているようだった。
 なるほど、あれほど完璧に女装できるのなら、このノルダインの珍妙な通過儀礼も納得できる気がする。
「おまえの男装が杜撰《ずさん》すぎただけじゃないのか」
「杜撰は言い過ぎでしょ!? そんなに気づかれていないはずよ!?」
「気づいていても言わずにいたやつは何人かいるだろ……」
 あるいは、男だと知りながらミシェルに懸想する者もいた。兵士科は男性の比率が高いのでまれにそういう趣味の人間もいる。
 そういった輩からセリカたちが必死にガードしていたことなんて、この王女は気づいていないのだろう。

 ――ノルダインに来たからだろうか。

 それとも、ミシェルに会ったからだろうか。
 懐かしい、と。
 身体に沁みるように湧き出てくる。

 タシアンが真っ当な人間に育ったのは、マギヴィルで出会った人々と培ってきた関係と経験のおかげだ。
 しかしあの頃のタシアンには何も無かった。ただ火種にならぬようにと国外の学園に行かされて、なんの目標もなく、なんの希望もなくただ生きていた。
 それを変えたのは、マギヴィルにまで異父兄に会いに来たイアランだったし、彼のために無為に鍛えてきた剣を捧げようと心から思えた。
 けれどもし。
 もしも、イアランよりも先に、ミシェルに出会っていたら。
 タシアンは彼女に剣を捧げただろうか。彼女の騎士に、なっていただろうか。

 ありえなかったもしもを想像して、タシアンは目を閉じた。



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