可憐な王子の受難の日々

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2:男に二言はないわよね?



 リノルアースの行動は早かった。
「じゃあ、アドル。これ着て」
「――――は?」
 アドルバードの反応が遅れてしまったのも無理はなかった。着て、と言いながらリノルアースが差し出してきたのは、ピンクのひらひらのドレスだったのだから。
「着てって……これどうみてもドレスなんだけど」
「そうよ、どこからどうみてもドレスよ。角度変えてみても意味ないから止めなさい、アドル。私のそんなに気に入ってないドレスだから汚したっていいわ。練習よ、練習」
 そう言いながらリノルアースはアドルバードの上着を剥ぎ取ろうとし始める。お姫様がこんなことしちゃいけないと思うのは俺だけなのだろうか、とアドルバードは慌てて抵抗した。
「ちょっと待て! 事情を説明しろよ! なんで俺がドレスを着る必要があっておまえの身が危険なのかをだな――」
「飲み込み遅いのね、アドルってば。それじゃあ良い王様にはなれないわよ?」
 ふぅ、とため息を吐き出しながらリノルアースは憐れむような目で見てくる。何がどうしてそんな顔をされなくてはいけないのか。
「レイ。剥いじゃって」
「はい」
 ぱちん、とリノルアースが指をならすと、それまで静観していたレイが素早く動き出す。 
「ちょっ……レイ! おまえの主人は俺だろうが! なんでリノルの言うこと聞いてるんだよ!」
「これもリノル様のお願いですから。アドル様がほいほいリノル様にのせられるのがいけないんです」
 正論と言えば正論かもしれない。レイとアドルバードでは体格差があるので、どれだけ抵抗しても大型犬に対して小型犬が吠えているような空しさしかなかった。
「こら! だ、だからっておまえ、服を奪うな!」
 長身のレイにあっさりと上着を奪われる。
 上着だけならいいが、ドレスを着ろというのだから服は全て剥ぎ取られるに決まっている。まさか年頃の妹の前で生着替えをしろというのか。
「もう。じれったいわね。ルイ! 手伝って!」
 リノルアースがしびれを切らして自分の騎士にまでアドルバードの服を剥ぎ取るように命令する。ルイはレイの弟だが、性格がまるで違うのでずっとアドルバードを憐れむように見ていた。
「リ、リノル様。いくらなんでも事情も説明していないのにあんまりじゃあ……」
 控えめに、ルイがリノルアースに意見すると、リノルアースはきっとルイを睨みつけてきた。
「ルイ、減給されたくなかったらとっととしなさい」
「――はい」
 そこで砕ける騎士道か、とアドルバードは肩を落とす。わずかに希望が見えただけに落胆は大きい。
「すみません。アドル様。姫には逆らえません……」
 レイと一緒にアドルバードの服を剥ぎ取りながら、ルイが目に涙を浮かべながら謝罪する。これから女装させられるアドルバードが不憫でたまらないのだろう。
「――気にするな、ルイ。こんな妹を持ってしまったのが不運だった。素直に着替えるから無理やり脱がせるのは止めてくれ、レイ」
 今度は忠実にアドルバードの言葉に従うレイ。一体どっちの味方なんだか、とアドルバードはため息を吐く。
「リノルは向こうに行ってる! 女の子が男の裸を見るんじゃありません!」
 アドルバードがしっし、とリノルアースに外に出るように言うと、つまらなそうな顔をして呟く。
「双子の兄の裸見てもときめかないわよ」
「ときめくときめかないの問題じゃなくて淑女としての常識だ」
 むぅ、としながらリノルアースが回れ右して扉に向かう。しかし――
「だったらレイも出なくちゃ駄目なんじゃないの? レイだって女の子でしょう」
 と、リノルアースが扉の前で、聞こえるように呟く。
「――そういえばそうですね」
 本人も忘れていたかのようにのんびりと呟いた。
 アドルバードの専属騎士であるレイは正真正銘、女性だ。しかし綺麗な銀髪は男性のように短く切られてしまっているし、顔立ちも中性的で、騎士の制服を着ていると男に見える。背も女性としては高めだ。
「い、いや。レイがいなくなるとこれどうやって着るのか分からないから」
 大体、彼女はいつもアドルバードの着替えを手伝っているのだから、今更だった。
 アドルバードがレイを女扱いしていないとかそういうことはなく、むしろ女性として扱われることはレイが嫌がる。女性の騎士、という点でいろんな経験をしてきているということをアドルも知っている。
「リノル様、コルセットも貸していただけますか」
 レイはさほど気にした様子もなく、当然のごとく脱いだアドルバードの服を畳みながら扉の前でふてくされるリノルアースに話しかける。
「クローゼットの中よ。ちょっと待ってて。あと靴もそのままじゃ駄目よね? でもサイズがないわ」
 結局アドルバードが着替え終わるまでリノルアースは部屋に居座った。
 着替える途中の羞恥心は無いに等しいが、着替え終わった方が拷問だった。レイに容赦なく締め付けられたコルセットで窒息死しそうだし、足にまとわりつくドレスは暑苦しい。
「完璧だわ、アドル! どこからどうみてもお姫様!」
 ご丁寧に用意されていた鬘をかぶせられ、男心に傷をつけるようなひらひらふりふりのピンクのドレスを着せられたアドルバードは、見事に姫に変身していた。
「こんな感じで女装して、私の代わりにアルシザスに行ってくれない?」
「――は?」
 にっこりと笑うリノルアースを前に、アドルバードは自分の耳を疑った。
「リ、リノル。今なんて言った?」
「女装して、私の代わりにリノルアース姫としてアルシザス王国に行ってきてって言ったのよ」
 単語を補いながらリノルアースはもう一度事情を説明する。
 アドルバードはリノルアースの言葉を何度も反復しながら、意味を考えた。ショックのあまりに脳が機能していないのかもしれない。
「――――なんでっ!?」
 十分に時間を使って、やっと理解したアドルバードは叫んだ。
「ちょっとね、求婚されちゃったわけでね」
「はぁ!?」
「遠まわしによ、正式にはされてないの。でも相手は大陸屈指の強国。こっちは弱小国よ。相手からすれば虫けらみたいなもんよ。しかも遊びに来ませんか、なんて手紙まできちゃってるのよ」
 優雅に紅茶を飲みながらリノルアースは毒づく。見ているだけでは十分な目の保養なのに、とアドルバードは悲しくなった。クールな印象のあるレイにしろ、見た目だけは可憐なリノルアースにしろ、見た目の良い女は中身に問題があるのかもしれない。
「――それで?」
「国同士のいざこざにはしたくないでしょう? アドルにはアルシザスの招待を受けて、丁寧かつ正確に、害虫駆除してきてほしいの」
 アドルバードは頭を抱えた。
 ただの女装だとは思わなかったが、そんな大事なんて。
「害虫くらい自分でどうにかしたらどうだ? できるだろ」
「だからそこで貞操の危機が出てくるんじゃないの。ロクデナシの国王だって聞くからもしもってことがあるかもしれないじゃない。それに私が行ったら相手の顔面殴って外交問題作っちゃうわ」
 ――可能性としては後者の方が高い気がする。なんと言ってもこの姫は国王を害虫やらロクデナシ呼ばわりするほどの強者だ。
「男に二言はないわよね? アドル」
 にっこり。
「……嫌とは言わせないんだろ」
「もちろん」
 この妹に逆らう気はもちろんない。
 アドルバードは仕方なくリノルアースの『お願い』を聞いてしまったのだった。




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