可憐な王子の受難の日々

PREV | NEXT | INDEX

4:アルシザスへようこそ



 むわりと暑い風が肌を、髪を、撫でる。不快なそれは、アドルバードの機嫌をますます悪化させていた。眉間に皺を寄せていると、レイが「アドル様」と誰にも聞こえないような小さな声でアドルバードをたしなめた。
 大丈夫だよ、と何も言わずに笑って、ふぅ、と息を吐き出した。敵は目の前だ。






 贅を尽くした謁見の間に一歩足を踏み入れると、アドルバードは背筋を伸ばし、胸を張り、理想の「リノルアース姫」となった。


「ハウゼンランドより参りました、リノルアース・ルイブルク・アルト・ハウゼンランドと申します」


 薄い桃色のドレスの裾をつまみながら、リノルアースになりきっているアドルバードは優雅に礼をする。声はいつもより高めに、目は節目がちに、と自分に言い聞かせ、とにかく深窓の儚い姫を演じていた。
 数歩下がったところにはレイが控え、片膝をついている。彼女の身体の曲線を隠すようにデザインされた服は濃紺で、服についている少ない装飾は全て銀だ。彼女の容姿を引き立てつつも、目立ちすぎない。アドルバードの着る薄桃色のドレスは、飾り付けは全て金だ。金と銀。それはまるで初めからついの存在であったかのようだ。
 ほう、と誰かが息を呑むのが聞こえた。
 アルシザス国王・カルヴァに挨拶するために現れた姫君と、その忠実な騎士は一枚の絵とも思えるほどに美しかった。
「アルシザスにようこそ、北の国の麗しき姫」
 ちらり、とアドルバードはアルシザス国王を盗み見た。南国アルシザスの民の特徴と同じ、黒い髪に、褐色の肌。身体の引き締まった、二十代後半の男性。瞳は穏やかそうにも鋭そうにも見える。
「ぜひこの国を気に入っていただけると嬉しいものです。ハウゼンランドとは違った、様々なものがありますので」
 うちの国が弱小国だっていう厭味か。アドルバードは内心ではそう毒づきながらも、顔はにっこりと微笑んで、カルヴァを見る。
「北国のハウゼンランドと、南国のアルシザス、違うところはたくさんあるでしょう。ここで多くのことを学び、我が国に役立てることができればと思います」
 つまりは、ここに長いする気はない。おまえと結婚して定住する気もさらさらない。と、いう意味を込めて言い返す。
 こんなに蒸し暑い国で暮らすなんてまっぴらだ。今頃のハウゼンランドは短い夏を迎えて、涼やかな風が吹いているだろうに。慣れない暑さのせいか、はたまた胸を締め付けるコルセットのせいか、さっきからずっと頭痛がするのだ。
 その後当たり障りのない会話をして、その場を去る。
 そもそもアドルバードよりも短気なリノルアースが、こんなに暑いところになんて住めるわけがない。一日に何回癇癪を起こすか分かったもんじゃない。
「美しい姫に、美しい騎士。目の保養とはまさにこのことですな。そちらの騎士、名は何と言う」
 カルヴァは上機嫌で跪いたままのレイに問う。
「レイ・バウアーと申します」
 凛とした声がその場に響いた。レイは俯いたままであるはずなのに、不思議なほどにその声は遠くまで届く。
「レイ・バウアーか。覚えておこう。リノルアース姫、どうでしょう、今からでも我が城の中を案内したいと存じますが」
 友好的といえば聞こえはいいが、あまりにも軽薄で突然な誘いに、アドルバードは顔を顰めそうになった。咄嗟に笑顔の仮面を被ることができたのは上出来だっただろう。
「失礼を承知で申し上げます。我が姫君におかれましては、慣れぬ長旅と南国の気候で体調が芳しくありません。せっかくの陛下の御心遣いではありますが、今は疲れを癒させてはいただけませんでしょうか」
 傍目には明らかに無礼なレイの割り込みではあったが、カルヴァは気にする様子もなく頷いた。
「これは気がつかなかった。部屋を用意してあります、どうぞ姫はごゆるりとお休みください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて今日はこれにて失礼させていただきます」
 儚げに微笑み、来た時と同じように優雅に礼をする。小さく「レイ」と騎士の名を呼ぶと、忠実な騎士は体調の優れない主に手を差し出し、丁重にエスコートした。ほぅ、と周囲の人々はため息を零して二人の背中を見送るのだった。







 用意された部屋に戻り、あれこれと世話をしようとするアルシザスの女官を下がらせた。ハウゼンランドからも女官や侍女を連れて来ているのだが、アルシザスでも多くの女官がリノルアース姫の世話をするために待ちかまえていたのだ。
「リノル様、これで頭を冷やしてください」
「――そんなことを言われるようなことはまだやってないと思うが」
 既に用意していたのかと問いたくなるくらいにちょうどいいタイミングで、レイは濡らしたタオルを差し出した。表立って問題になるような発言はしていない。
「いえ、そういうことではなく。その方が楽になりますから。暑くて辛いんでしょう?」
「辛いというかダルイ。頭痛いし」
「ですからタオルで冷やしてください。あと首筋を冷やせば……」
 そう言いながらレイがもう一枚のタオルを首筋に当てた。ひやりと、心地よい冷たさと共に少しだけ全身が冷える。
「あー……気持ち良い」
「リノル様、今は少し多めに見ますが言葉遣いには気をつけてくださいね」
 長椅子にもたれかかり、すっかり地で話しているアドルバードにレイが注意する。
「部屋の中でもか?」
「念には念を、という言葉がありますから。しばらくは」
「――わかった」
 やると決めた以上はばれるわけにはいかない。
 バレたら最後、ハウゼンランドの王子には女装趣味があるなんて噂がたつかもしれない。それはさすがにごめんだ。ごめんだというよりも大問題だ。なにしろアドルバードはハウゼンランドの後継ぎなのだから。
「とりあえずは丁寧かつ遠まわしに求婚を断って、少し釘を刺しておけばいいだろ」
「リノル様」
 レイが声を低くする。口調を直せ、と目が語っている。アドルバードはため息を零し、さきほどの言葉を言い直す。
「とりあえずは丁寧かつ遠まわしに求婚をお断りして、少し釘を刺しておければいいわね、レイ?」
 にっこりと美しい微笑みを浮かべて首を傾げる。自分でも可愛らしい姫君の動作だっただろうと思う。
「――そうですね」
 主人が女言葉で話しかけても動じない騎士は果たして優秀なのだろうか。
 そんなことを考えつつ、アドルバードは滞在中の作戦を練り始めるのだった。




PREV | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2007- hajime aoyagi All rights reserved.
inserted by FC2 system