可憐な王子の受難の日々

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5:では腹の探りあいに行きますよ



 丁寧にかつ遠まわしに求婚を断る。そう決めたのはいいものの。それはなかなかに難しい問題だった。
 何しろ相手は大陸の中でも屈指の大国の国王。こちらは地図上でも小さくて他の国と大差のない小国の姫君――ということになっている。
「どぉーすればいいぃぃぃー」
 唸りながら頭を抱えるアドルバードを見て、レイがため息を吐く。
「リノル様」
「あーっ! もう分かってる! 言葉遣いを直せっていうんだろう!?」
「言われる前に直してください」
 小姑め、とアドルバードは呟く。
 挨拶の場で早めに退出できたのは僥倖だったが、予想通り今晩にはリノルアース姫のための晩餐会が開かれることになっている。ごく少人数で、つまりはリノルアースとレイ、アルシザス国王カルヴァと少しの重鎮、といったところだろうか。
 刻一刻と時は過ぎ、太陽はもう西の海に沈もうとしている。空はだんだんと暗くなってもはや夜は待たずともやってくる。
「アルシザス国王のお人柄が分からない以上、なんとも言えませんね。リノル様のおっしゃっていたようにろくでなしなら話は早いんですが」
「……間違っても斬るなよ」
「あなたに危険がない限りは斬りません」
 俺が襲われたら斬るのか。一国の国王を。
 本気なのか冗談なのか分からないが、つまりは自分が危険な目に遭わなければいいのだ。一国の国王に剣を向けただけで十分な外交問題に発展してしまう。ふぅ、とため息を吐き出してアドルバードは自分の心の中に書きとめておいた。
「とにかく、様子を見た方が良いと思います」
 そう言いながらレイがアドルバードに冷たいタオルを手渡す。もう日も暮れ始めているというのに、暑い。蒸し暑い。湿気が多いのかじめじめとしているし、天然の蒸し風呂にでも入っているようだ。
「しかたない。今日で相手を見極めよう。作戦はそれからだ」
 方針はさっさと決めておくに限る。アドルバードは決意すると、気合いをいれるように両頬を軽く叩いた。暑さでぼんやりとしていた頭が少しすっきりとした。
「ええ、では腹の探りあいに行きますよ、リノルアース様」
 すっと立ち上がったレイがアドルバードに手を差し出す。
 本来の性別ならアドルバードがするはずの行為だが、彼女がするほうが様になっているのだから悲しい。練習したとはいえ、なだ慣れないドレスを着ているときはレイにエスコートしてもらった方が楽なのも事実だ。
 アドルバードはため息を飲み込み、レイの手をとり立ち上がった。
 まだまだ何もかも始まったばかりなのだ。







「本当に、噂に違わぬ美しさでありますな、リノルアース姫は」
 少し酒も入り、上機嫌で国王カルヴァは言う。
 本物じゃないんだけどな、と内心で思う。男が男に美しいと褒められても嬉しいはずがない。アドルバードは苦笑いを浮かべながらありがとうございます、とだけ返した。
 ハウゼンランドの者はアドルバードとレイ、そして外交官が一人。アルシザスも国王の他に宰相と国王の秘書がついているくらいだ。
「どうですか、この国は」
 宰相に話しかけられて、アドルバードが困惑する。ここで良い反応をすれば面倒なことになりそうだし、しかし悪いことを言うわけにもいかない。そもそも到着してからこの国の良いところなどひとつも見つけられないのだが。暑くて暑くてうんざりするだけだ。
「そうですね、来たばかりなのでまだよくは分かりませんが……我が国と随分と気候が違うので、戸惑っています。アルシザスはいつもこのように暑いのですか?」
 にっこりと微笑みながら当たり障りないことを言っていれば問題ないだろう、とアドルバードは可愛らしい姫を演じる。
「今は夏ですからね、姫はお辛いでしょう。秋になれば少しは涼しくなりますが、ハウゼンランドに比べればどの季節も暑く感じるでしょうな」
「ハウゼンランドにいらっしゃったことが?」
 レイが機転を利かせて話を変える。
 本来ただの騎士ならば同席することはありえないだろうが、姫の専属の騎士というだけでかなりの特権が得られる。レイは外交官と肩を並べられるほどの地位にはあるのだ。
「小さい頃に、一度。冬に行ったので印象はかなり強烈ですね。雪で溢れていて」
「ハウゼンランドの冬は長いですから」
 宰相の話にあわせながらアドルバードは顔に張り付いたように笑顔のまま食事を続けた。北国であることもあるが、ハウゼンランドには大きな山脈があるのでその分他の国よりも雪が深い。
「寒かったのは事実ですが、雪が止んだ後のあの銀世界は見事です。アルシザスでは見られない美しい景色でした」
「まぁ、ありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいです。ハウゼンランドはアルシザスには遠く及ばないほどの小さな国ですから」
 アドルバードは宰相に微笑みかけながら、国王を見る。
 こう言っておけば恐れ多くて求婚は受け入れられませんと断ることも可能だろう。
「いやいや、国の大小は関係ありませんよ、リノルアース姫。美しきものにはそれだけの価値があるものです」
 う、とアドルバードが言葉に詰まる。うまく言い返された。
「国王陛下は美しいものがお好きなようですね」
 即座に答えられなかったアドルバードに代わって、レイが再び助け舟を出す。
「もちろん、美しいものは人類の宝とも言えるだろう。騎士殿と姫が並ぶと本当に絵画でも見ているような気分になりますよ」
「ご冗談を」
 くす、とレイがかすかに笑う。
 珍しいものも見れるものだと思いながらアドルバードは心の中でレイに感謝した。職務中のレイはほとんど笑わないのだ。幼い頃から一緒にいるアドルバードは何度も見たことのある笑顔だが、騎士団の男たちはレイが微笑むだけでとても驚く。
「それにしても、お若いのに、もう姫に剣の誓いを立てるとは……迷われることはなかったのですかね」
 宰相が感心したようにレイに問うた。剣の誓いとは――この大陸ではどの国にでもある、騎士と王族または貴族の誓いだ。しかし今では随分と誓いをたてる騎士も減っている。
 普通の騎士は己の信念を持って、国のため、民のために剣を振るう。その騎士が剣の誓いをたてるということは、ただ一人の主人に一生仕え、その身を捧げるというものだ。その忠誠を受け入れられなければ、ただの騎士に戻ることはできない。今ではないが、昔は忠誠を受け入れられなかった騎士は死ぬことになっていたのだ。その意識が残っている今でも、剣の誓いをたてるということは相当の覚悟のいる行為だった。
 レイは顔色を変えずに即答した。
「迷いなどありません」
 きっぱりとした返答に、アドルバードだけではなく、その場にいた者の胸が打たれる。言葉に無駄な飾りがないぶん、より真実味があった。
 アドルバードがレイの言葉に浮かれていると、晩餐会はすぐに終わった。
 いろいろな感情がごちゃまぜになって、あまり味わったことのない異国の料理の味もあまり覚えていない。



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