君と肩を並べるまで
(2)
幼い頃から続いていた関係が恋になった瞬間があったとすれば、やはりあの時だったのだろう。
――レイ、何かあったのか? 最近なんか変だぞ。
隠し通せていると思っていたところにきた、アドルバードの問いはレイをかなり動揺させた。それでも幼いアドルバードに自分の問題を話すわけにはいかないと一瞬にして表情を作る。
「何もありませんよ」
わずかに微笑んで答えると、アドルバードは納得していないようだった。む、とした顔でさらに距離を詰めてくる。
「誤魔化すなよ、騙されないからな。いったい何年おまえと一緒にいると思ってる?」
――ああ。
いつの間にこの人は、こんなにも成長していたのだろう。
自分の作り出す仮面は誰にも見破れないと思っていた。平静を装えば誰もが納得すると思っていた。言葉を重ねて誤魔化すのは得意だ。
こんな、一番弱り切っている時に、どうしてこの人にはそれがバレてしまったんだろう。
『レイ、覚悟はしておけ。これ以上求婚を断り続けるのは難しいかもしれない』
難しい表情で父はそう言った。何件も持ち上がった縁談を父は娘を思って潰してくれた。しかし弱小貴族のバウアー家にはあまりあるほどの家からの求婚を断り続けるには理由がいる。
それがないレイには、もうこれ以上逃げるのは難しかった。
だから何も言わずに頷いた。好きでもない男に嫁ぐことには嫌悪感があるし、何より嫁げば剣を握り続けることは出来なくなるだろう。それはレイにとっては生きがいを失うことに等しかった。
何がいけないというのだろう。
ただ私は私のままで、今までと同じようにアドル様やリノル様と共にいたいだけなのに。
彼らの傍らにいて、彼らの成長を手助けしたいだけなのに。
そのささやかなようで贅沢な願いは到底叶えられるものではないということも、賢いレイは知っていた。
あとどれくらいの間、こうしていられるだろう。そんな考えに囚われながらアドルバードに仕えていた。
まだ十三歳のアドルバードは真っ直ぐにレイを見ていた。
もう誤魔化すことなんて出来ないことくらいは、簡単に察せるくらいに強い瞳でこちらを見るアドルバードに、目頭が熱くなった。
「……アドル様」
呟いた声はまるで自分のものではないみたいに艶めかしい。
湧き出る感情は数多あり、かつ複雑だった。しかしその複雑な感情はすべてアドルバードという存在で繋ぎあわされる。
――傍にいたい。共にありたい。この一生を、この人の傍で終えたい。いとおしくていとおしくてたまらなかった。
王妃なんて大それた地位は望まないから、だからどうか。
この一生をこの人に捧げることをお許しください。
この人のために生きて、この人を守るために剣をふるい、この身を盾にすることをお許しください。
許しを乞うのはただ一人でいい。
自分の中で覚悟が決まった瞬間に、レイは自分の長い銀髪を握り締め、間髪入れずに抜いた剣で斬りおとしていた。
幼い頃よく真似て遊んでいた。
騎士がたった一人に仕えると、剣の誓いをたてるシーンが頭の中を駆け巡る。
「――この身をもって、あなたをお守りします」
アドルバードの前に跪き、恭しく剣を掲げる。この剣の重みがなくなれば誓いは受け入れられる。もし消えなければ――その時は覚悟を決めて、短髪の女でもかまわないという男のもとへ嫁ごう。
「アドルバード様」
自然とそう口にしていた。アドルバードは茫然として立ちつくしていた。
アドルバードは知らないだろう。剣を受け取られるまで、どれほどレイが緊張していたかを。剣の重みが消えた瞬間に、どれほどほっとしたかを。
多くは望まない。この命が尽きるその瞬間まで、傍にいられればいい。
――そう、思っていたはずなのに。いったいいつからこんなにも欲深くなったのだろう。
「レイ」
昔を思い起こしていると、鈴の音のように愛らしい声がレイの名前を呼んだ。
はっと現実に引き戻されれば、目の前にはリノルアースが不貞腐れたように立っている。
「もう。珍しいわね、ぼんやりしちゃって」
すみません、と謝りながら自分でもらしくないなと思う。アドルバードは今頃他国の大使と会談している頃だ。送り迎えだけで良いと言われたので傍を離れたところ、リノルアースに捕まったのだ。
「別にいいのよ。レイはたまにそうやってボーっとした方がいいわ」
「少し、昔のことを思い出してて……」
苦笑しながら呟くと、リノルアースが目を輝かせて問い詰める。
「あら、昔っていつのこと?」
以前ならからかう対象だったルイがいなくなって暇なのだろう、リノルアースの目はレイを逃がしてくれそうにない。
「剣の誓いをたてた時のことです」
さらりと答えると、張り合いがなくてつまらなかったのかリノルアースがふぅん、と呟く。
「あの頃は大変だったんでしょ? ディークが言ってたけど、実は剣の誓いをたてたのと同じ日にルザードからも暗に求婚をほのめかされたって言ってたし」
「それは初耳ですね」
「どうせ剣の誓いを優先して断ることになったから、話すまでもないと思ったんじゃない? あいつは本気でレイが好きだったのねぇ」
ルザードの想いが真剣なものであったのはそれこそ数年前から気づいていた。だから今さら驚くほどのことでもなかった。
「結局、アドルとルザードが仲悪かったのってレイを取り合っていたのが原因だものねぇ」
それも初耳だな、と思いながらレイは紅茶を飲む。
アドルとルザードはそれこそ小さな頃から仲が悪かった。性格が合わないのだろうと思っていたのだが、原因は自分だったのか。
「…………となると、アドル様は」
そんなに昔から、恋心を抱いていたということになるのだろうか?
「アドルなんてちっちゃい時からレイ一筋じゃない。知らなかったの?」
知らなかったわけではない、小さな頃――それこそ物心つく前から異常なほどに懐かれていたから、好意は抱かれていることくらいは知っていた。
「……正直、年下の子供に懐かれている程度の認識しかありませんでしたね」
「あら、じゃあレイってアドルに惚れたのはつい最近なの?」
思いがけぬ方向に話が転がり始めレイは逃げ道を探すが、リノルアースの目は獲物を捕らえた猛禽類の目よりも鋭く光っている。
「……自覚したのは、それこそ誓いをたてた時で――」
追撃はあるだろうかと警戒していると、予想外にもリノルアースは紅茶を優雅に飲みながらふぅん、と呟く。
ほっと胸を撫で下ろしていると、ちょうどアドルバードを迎えに行く時間になっていた。
「時間ですので、失礼しますね、リノル様」
リノルアースは微笑みながらどうぞ、と言う。アドルバードと同じ青い瞳が真っ直ぐにレイを見つめてきたので、レイは首を傾げて「何か?」と問う。
「ううん。ただ、やっぱりアドルは全面的に負けてるんだなぁって」
「負けてる?」
リノルアースは頬杖をつきながら艶やかに微笑んだ。誰もがため息をついて見惚れてしまいそうな美しい笑顔だ。
「先に惚れた方が負けって言うでしょ? アドルはずっと前からレイが好きだったんだから、これはもう一生勝てないわね」
どう返せばいいのか分からず、レイははぁ、と呟いて部屋から退出した。
――アドルバードという存在がなければ生きていけないと、そう思えるほどになった感情を持ってしてでも、まだこの勝負に勝っているのだろうか?
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