平凡皇女と意地悪な客人

13:……貴方は本当に、馬鹿な人ね

 ジュードが部屋へと運ばれ、そのあとをただついていくしかなかったパリスメイアは、治療中の部屋の外でただ立ち尽くしていた。いつしか涙は止まっている。
 ときおり、部屋の中からはくぐもった唸り声が聞こえ、その度にパリスメイアは肩を震わせる。

「パリス様、お召し替えを……」
 事態を聞きつけ、すぐさま駆けつけたアイラがおずおずとパリスメイアに声をかける。ジュードに守られていたパリスメイアの服にも、彼の血がついていた。
「……着替え、なんて」
 そんな場合じゃない。
 パリスメイアは目を落とし、自分の服についた血の染みの上を握りしめた。
 がちゃり、と扉が開くと弾かれたように顔をあげる。
「解毒と処置は終わりました……まったく、無茶をする。即効性の毒が塗られた矢が刺さったまま、王宮まで馬を走らせるとは」
「……即効性……」
 パリスメイアは呟きながら青ざめた。だからあれほど手当てをと言ったのに。
「幸いにもほぼ解毒できました。鏃に付着していたものから毒をすぐに特定できましたからな」
 ですが、と医師は重々しく続ける。
「高熱が出ております。今夜いっぱいは苦しむでしょう」
 体力が衰えているときの発熱は命も奪いかねない。ジュードは鍛えているうえに若いので、それほど心配することはない。命が失われるようなことはないですよ、と医師は説明していたが、パリスメイアの耳には半分も入ってこなかった。
「……では、私は他の怪我人も看てきます」
 密かに護衛についてくれていた者たちもまた、怪我を負ったらしい。幸か不幸か、一番の重傷者はジュードだが。
 医師が離れる間、衛兵と侍女がジュードを看ていると言われたが、
「私が看ます」
「パリス様!」
「私を守ったから怪我をしたんだもの、放っておけない」
 一晩付き添うくらいならパリスメイアにもできる。何か異変があれば医師に知らせればいい。それだけだ。
 ……パリスメイアにできるのは、それくらいしかない。
「……それならば、お召し替えを。汚れた服のまま看護など論外です」
 アイラが根負けしたように告げて、パリスメイアはありがとう、と返す。これが病であればパリスメイアがなんと言おうと近寄らせてはもらえなかっただろう。



 大急ぎで清潔で動きやすい服に着替えると、パリスメイアはジュードのもとへ向かった。
 部屋の入り口には衛兵がいる。あの強襲が、もとから彼を狙っての犯行だった可能性も捨てきれないからだ。
「ご苦労様」
 パリスメイアは衛兵に声をかけ、中に入った。代わりにいた侍女がパリスメイアの入室に気づいて立ち上がる。
「……私は何をすればいいかしら?」
 恥ずかしいことにパリスメイアには怪我人の看護をした経験などはない。
「タオルがぬるくなったらまた濡らしてください。あと、ひどく汗をかかれているのでときおり拭いて差し上げてくださいませ」
 侍女は簡単に説明して、何かあればいつでもお声がけください、とやわく微笑んだ。ありがとう、とお礼を告げて、パリスメイアは寝台のそばの椅子に腰を下ろす。
 固く目を閉じたままのジュードの息は荒く、額からは汗が流れ落ちていた。パリスメイアタオルを手にそっとその汗を拭う。額のタオルが少しでもぬるくなればすぐに取り替えた。それを、何時間も何時間も繰り返す。

 夜もふけて、本来ならば眠りについているような時間だ。しかしパリスメイアのもとには睡魔はまったく訪れてこない。
「パリス様、私が看護を変わりますから、少しでもお休みになってください」
「……大丈夫よ、眠くないし、疲れてないの」
 何度目かのアイラの申し出を断って、パリスメイアはタオルを取り替える。
「アイラこそ休んでいいのよ。私に付き合ってくれなくても……」
「主が休まないのに、私が先に休むわけには参りません。……盥の水を取り替えてきますね」
 アイラも主人に似て頑固者だ。パリスメイアは苦笑して、アイラを見送る。
 数時間前よりは呼吸も落ち着いてきた。熱はまだ下がっていないし、一度も目を覚ましていない。
「……貴方は本当に、馬鹿な人ね」
 たとえパリスメイアを連れ出したのがジュードだとしても、彼にパリスメイアを守らなければならない義務なんて、ないのに。
 額から流れ落ちた汗を拭いながら、パリスメイアは小さく呟いた。
「…………ィ、……ァ……?」
 ジュードの睫毛がふるりと震え、かすれた声が喉から零れ落ちた。
「目が覚めたの? 待って、今医師を」
 澄んだ緑の瞳が、確かにパリスメイアを捕らえた。パリスメイアは慌てて立ち上がり医師を呼ぼうとするが、寝具から伸びた腕がパリスメイアの手を掴む。
「怪我、は?」
「毒矢を受けて熱を出して重傷よ! 大人しく寝ていなさい!」
「……いえ、貴女は」
 熱でかすれたままの声で問うジュードにパリスメイアは言葉を失った。この人は、何を言っているんだろう。こんな大怪我を負って、目覚めて一番に他人の心配なんて。
「……ご覧のとおり無傷よ。貴方のおかげで」
「……そうですか、よかった」
 まだ苦しいだろうに、ジュードはほっと安堵するように微笑む。
 パリスメイアは泣きたくなりながら、よくない、と思った。ちっともよくない。
「何がいいのよ、こんな怪我をして! 毒矢だったら私に当たればよかったんだわ、毒なら……!」
 ――毒なら、慣らされていたのに。
 じわりと涙が滲んで、パリスメイアはこぶしを握りしめる。当たったのがパリスメイアなら、ここまで苦しむことはなかったかもしれない。
 ジュードは今にも涙が零れ落ちそうなまま耐えるパリスメイアを見上げて、微笑む。
 貴女は、とかすれた声がした。

「……毒に慣れていても、矢で射られることには、慣れていないでしょう?」

 まるで包み込むような優しい声に、パリスメイアの瞳からぽろりと、涙が落ちた。
 そんな理由で、と詰りたいのに声にならず、ひく、と子どものような泣き声が部屋に響いた。
 ジュードが困ったような顔でパリスメイアを見つめていて、その表情に少しだけ胸がすっとする。もっと困ればいい。もっともっと、困ればいいのだ。
 溢れ出した涙を拭いながら、パリスメイアはそう思った。




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