平凡皇女と意地悪な客人

16:次代のアヴィラに、腐敗はいらない






 肌や喉を焼くような熱い空気に、懐かしいと感じるのはこの身体に流れる血のせいなのだろうか。
 南の大国、アヴィランテの地を踏みしめたとき、ジュードはそう思った。祖国のネイガスは北方の国ではあるが、他の北国に比べれば幾分か穏やかな気候である。寒さが厳しいと感じることもあまりないが、これほどの暑さを体験することはまずない。


 伯父であるアヴィランテ皇帝と対面を果たして、ジュードはやはり血のつながりを感じた。どことなく、自分に似ている。
「大きくなったね。君が生まれたと知らせを受けたのはつい最近のことに思えるんだけど」
 にこりと笑みを浮かべながらも、計り知れない気配を漂わせている。――ただ敵意はないとだけ分かった。
「シェリスネイア(いもうと)によく似ている。ああ……でも目元は父親似かな」
 絶世の美姫といわれた母の容姿を受け継いでいるものの、十人並みの父の血ももちろん入っているのでジュードは見目はいいほうだが傾国と言えるほどではない。ただ、美しい男だと問われれば、たいていの人間は頷くだろう。
「よく言われます。母も元気にしていますよ。今度父と一緒にこちらへ来たいと言っていました」
 そうやすやすと行き来できる距離ではないため、母は里帰りなどなかなかできない。けれどそれでも行きたいと願う程度には、この皇帝を慕っているのだろう。
 皇帝陛下は目を細めて「そう」と小さく呟いた。
「うれしいけれど、しばらくは無理かな。……どうも、小蠅が多くてね」
「……小蠅、ですか」
 繰り返すと、皇帝は苦笑する。
 それはもちろん、単純に虫の話などではない。
「アヴィラはまだ腐っていたらしいね。……小蠅がたかるくらいには」
 現皇帝の即位のときに起きた大きな内乱で、アヴィランテは清められたはずだった。けれどそう簡単な話ではなかったのだ。何十年、何百年と腐敗を重ねてきたこの大きな国は、小さな傷からもすぐに膿んで腐っていく。
 皇帝が、こんなことをジュードに零すということはつまり。
「――シェリスネイアの息子、ネイガスからの客……それ以外に、俺に利用価値はありますか?」
 緑色の目が、皇帝陛下を見上げる。
 その瞳を見つめ返して、皇帝は笑みを深めた。
「……賢い子は嫌いじゃないよ。理解が早くて助かる」
 そして、宣言するように皇帝は告げる。

「次代のアヴィラに、腐敗はいらない」

 だから腐りきった部分は早急に切り落とさなければならない。健全な国を、継がせるためにも。





 王宮にある小さな庭には、赤い花が敷き詰められたように咲いている。
 矢を受けた左腕も日常生活を送るには不便がない程度に回復したのだが、お姫様はどうも口うるさくジュードは暇を持て余していた。
 今回は熱中症に気をつけつつ、木の陰に座って器用に花冠を作っていく。昔よく作っていたので、指が覚えているのだ。考えなくてもするすると編んでいく。
 ――アヴィランテは、まだ腐っている。
 来てすぐに皇帝に告げられた言葉は、あちこちを見て歩くことでさらに現実味を帯びていく。生まれる前のアヴィランテは、それこそ母からの話でしか聞いたことがないが、穏やかなネイガスで育ったジュードからすれば信じがたいものも少なくなかった。
 華やかな帝都の路地の奥へ足を踏み入れれば、やせ細り虚ろな目をした人々がいて、時には死体も転がっていた。もちろんどんな国でも餓える人間はいるが、アヴィランテは規格外に多い。そしてあの孤児院も、詳しく調べていけばきっと人身売買の組織と通じている可能性が高いだろう。国が運営する院であるにも関わらず、だ。
 そして姫の婿選びにしても――野心に燃える貴族は多い。特に古い皇帝の血筋を引くような人間は、特に。
「ちょ――貴方、何しているの!」
 驚くような焦るような、そんな声にジュードは顔をあげる。
「また熱中症で倒れたいの?」
 パリスメイアが呆れた顔でジュードのもとへやってきた。倒れるのはむしろそっちだ、とジュードは思う。抱きしめることすら躊躇われるような、頼りなく細い身体。
「だからこうして日陰にいるんですよ」
 気が付けば編んでいた花冠は冠にするには長すぎた。そのまま繋げて輪にすると、首飾りになってしまう。考え込みすぎたな、と苦笑しながらジュードはパリスメイアの首にかけた。鮮やかな赤は、やはり彼女に似合う。
「……また作っていたの」
「暇だったので」
「昔、よく作ってもらったわ。この花、好きだったの」
「好き、だった?」
 過去形であることに首を傾げて、ジュードは問う。
 パリスメイアは足元で咲く花を見下ろしながら呟いた。
「……知っている? この花、本当はもっと淡い赤なのよ」
「ええ、もちろん知っていますけど」
 どこにでも咲いている野草だ。ジュードもアヴィラを歩き回っているときにたびたび見かけた。
「でも、王宮に咲くこの花はこんなに鮮やかな赤い色をしている。王宮で流れている血を吸ってより赤くなっているんだ……なんて、言われているの」
 自嘲気味に笑い、パリスメイアは告げた。足元の花は確かに血色のように深い赤で、王宮の外で咲くその花を持ってきたところで、同じ種類の花だとは思えないだろう。
「それを聞いてから――母上が殺された、あの血の海を見てから、私はとてもじゃないけどこの花が綺麗だなんて思えなくなった」
 パリスメイアの目には、この小さな花は血の海に見えるのだろうか。首にかけられた花をやさしく撫でながら、パリスメイアは悲しげに笑う。
「――くだらない」
 ジュードは低く呟く。
「花は花で、血は血です。花が血を吸うなんて話もバカバカしい」
 強く握りしめてれば折れてしまいそうな細い腕を掴んで、ジュードはパリスメイアを睨むように告げた。
 ジュードを見上げるパリスメイアの瞳には、困惑の表情があった。
 こんなに頼りなさげな、か弱い彼女に、血なんて似合うはずがない。こんなに汚れきった国で、それでも大事に大事に守られ愛されたお姫様が。それでもこの国の穢れを嘆く優しい彼女が。

「俺が似合うと言ったのは、花の赤です。血色じゃない」


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