平凡皇女と意地悪な客人

20:……死者にすがって何になる

 はぁ、と吐き出されたジュードのため息が、暗がりの中にやけに大きく響いた。
「……こんなことなら、帯刀の許可もとっておくんだったな」
 何を物騒な、と言いかけるが、相手は武器を手にしてこちらは丸腰である以上、笑い飛ばすこともできなかった。あの者たちが部屋に簡単に侵入してきたということは、衛兵は倒されたのか、最悪の場合、懐柔されているということになる。誰が味方で、誰が敵か安易に判断できない。
「……後宮まで逃げ込んだら?」
 パリスメイアは一番安全そうな場所とふと浮かんだ後宮を上げる。只人の立ち入りを禁じられている後宮なら、どこに敵がいるかわからないここよりも安全なのではないだろうか。パリスメイアのみが住まうようになって、あの場所に立ち入ることができる人間はごくわずかだ。
「あそこは人目がなさすぎて逆に危険ですよ。それに、立ち入り禁止の場所だからと正直に入ってこないほど優しくもないでしょう」
 ジュードが苦笑してパリスメイアの案を拒否した。ああそうか、入ってはダメだという決まりを向こうが守るかどうかなんて、わからないのだ。
「なので、このまま会場に向かいます」
「会場に?」
 どれだけの人間がこの反逆劇に手を貸しているか分からない以上、それはあまりよい手には思えなかった。
「炙り出す、と陛下はおっしゃっていたじゃないですか。人目につかないところで襲われて返り討ちにしただけでは、簡単に揉み消せますから」
 やるからには公の場で、彼らに正しく反逆者になってもらわねば困るのだ、とジュードは呟く。
「……その前に、追ってくる羽虫は払い落としますけど」
 ぞくりとする低い声が、響く。
 止まって、という合図にパリスメイアはこくりと頷いて歩を止めた。ジュードは足元にランプを置くと、床板を、いや、天井板をずらして下の様子を伺った。下は、どこかの部屋らしい。
 どうやら二人を探している連中は、しらみつぶしにあちこちの部屋を探し始めたらしい。数は三人ほど。
「……とりあえず蹴散らします」
「蹴散らすって……」
 どうやって、と口を開いたパリスメイアに、ジュードは微笑みながらしぃ、と人差し指をたてる。
「姫は顔を出さないでくださいね、危ないから」
「ちょ」
 パリスメイアが止める前に、ジュードはその隙間からするりと部屋へと降りた。着地のついでとばかりに一人男を踏み潰して、腰の剣を奪う。
「貴様……!」
 北国で着られているデザインの衣装は、一目でジュードが何者なのか教えている。もしかしたら、あの衣装を選んだのは動きやすいという以外にもそういう意味もあったのだろうか。
 ――自分が、ジュード・ロイスタニアだと。そう教えるために。
 ジュードは奪った剣で振り返りざまに一人の剣を弾き飛ばす。そして間髪入れずに最後の一人の鳩尾に蹴りを入れた。
 踏み潰した最初の一人が起き上がったところで、切っ先を喉元に突きつける。
「……一応確認しておきますが、目的は?」
 男たちはまだ意識があるのに、ジュードには余裕がある。剣を突きつけられた男がジュードを睨みつけながら、まるで獣のように叫んだ。
「愚かな王などいらぬ! サジム様の意思を継ぐ王を、我らがお招きするのだ!」

 ――サジム。

 パリスメイアはその名を知っている。知らない者はいない。現皇帝が即位する前の、皇帝の名だ。父王を意のままに操り、アヴィランテで最も腐敗した時代を生み出した、パリスメイアにとっては、叔父になる。内乱で現皇帝に討たれ、パリスメイアも話の中でしか知らない。
「……死者にすがって何になる」
 嘲るような声とともに、ジュードは目の前の男の腹を蹴る。
 次の瞬間には襲いかかってきた二人もねじ伏せて、パリスメイアが心配する暇なんて与えずに、ジュードは三人の男たちを倒していた。
「……すごい」
 こんなに強いなんて、正直思ってもみなかった。
「何か縛るもの……シーツでいいですかね」
 ジュードは手早く寝台からシーツを剥ぎ取って、男たちを縛り付ける。そして天井を、パリスメイアを見上げた。
「……このまま会場まで向かいたいんですが、降りられますか?」
 パリスメイアは、ジュードを見下ろして目を丸くした。彼がやすやすと着地したとはいえ、天井から床まではかなり高さがある。
「……私が、この高さを?」
「ちゃんと受け止めますから、大丈夫ですよ」
「受け止め……って」
 ――それはそれで別の意味で出来ない。恥ずかしすぎる。
「急がないと」
「でも」
「姫一人くらいじゃ潰れませんて」
 フォローのつもりでジュードは言ったのだろうが、その言葉に先ほどジュードが降りるときに一人踏み潰したことを思い出して、パリスメイアはますます動けなくなった。
 幼い頃はわりとお転婆だったし、木登りに挑戦したこともあったけれど、それとこれとは話が別だ。
 躊躇するパリスメイアを見上げてジュードが苦笑しながら腕を広げる。
「ほら、早く」
 ――おいで、パリスメイア。
 木に登って降りられなくなると、父や母がそう言って抱きとめてくれたことを思い出す。そうだ、こんなところに留まっている暇なんてない。父は――皇帝は、今頃どうしているのか。
「つ、潰れても文句は聞きませんからね!」
 念のためにと一言告げて、パリスメイアはひらりと天井裏の隠し通路から飛び降りた。赤いドレスがふわりと揺れて、まるで花弁が舞っているかのようだ。
 大きな衝撃を覚悟して目をつぶっていたが、痛みも衝撃もほとんどない。
「姫」
 低い声が頬を撫でるような距離で聞こえて、パリスメイアは目を開けた。
「下ろして!」
 ジュードはしっかりとパリスメイアを受け止めていて、まるで大切なものを抱えるかのようにパリスメイアを支えていた。
「もう少し肉をつけたほうがいいんじゃないですか。軽すぎて中身が入っているのか不安になる」
「大きなお世話よ!」
 よっ、とジュードはパリスメイアを肩に担ぎあげる。お腹が苦しくてしかたない姿勢に、パリスメイアは「ちょっと」と文句を言いかけたが、ジュードに遮られた。
「姫に合わせると遅くなるんで少し我慢してください」
「は? ちょ、きゃあ!」
 落ち着いて会話する暇もなく走り出して、パリスメイアはジュードの肩の上で舌を噛まないように口を閉じた。

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