平凡皇女と意地悪な客人

21:アヴィランテの夜明けだ、と

 会場の入り口には、明らかに衛兵ではない男たちが張り付いていた。
「……どうするの?」
 ジュードの肩から下ろされたパリスメイアは、じろりと彼を睨みながら問いかけた。
「彼らを倒してから……と言いたいですけど、そうなると中の人間にも感づかれますよね。それは避けたいので」
 中の状況がわからない以上、刺激するのは得策ではない。それに、今から入りますと大声で宣言して敵の陣中に飛び込むのも馬鹿がやることだ。
「確か……」
 と、少し考え込んだあとでジュードが少し離れた壁画のそばで何やらごそごそと動く。
「また隠し通路? 貴方どれだけ把握しているの?」
「全部じゃありませんよ、七割程度ですかね」
 七割も知っているのか、とパリスメイアが呆れている間にジュードは隠し通路を見つける。ひっそりと現れたそこには、先ほどのようにランプは用意していなかったらしい。ほとんど何も見えないくらいの暗闇だが、少し歩くと次第に目が慣れた。
「……貴方が隠し通路を知ってること、陛下はご存知なの?」
「言ってませんけど、ご存知でしたね」
 先日嫌味を言われたので、とジュードが小さく呟いた。ふぅん、とパリスメイアは相槌を打った。
「貴方、本当に父上に気に入られているのね」
 感心したように呟いたパリスメイアに、ジュードが「は?」と驚きを隠さない。
「父上にここまで好きにさせてもらえているのって、すごく気に入られているということよ。分かりにくいでしょうけど」
 王宮の隠し通路を探るなんて、敵であればもちろん、気に入らない人間だったなら、容赦なく消されている。自分の懐を好きに探らせているのと同じことだ。
「……まぁ、気に入られているならいいですけど」
 嫌われているよりはマシですかね、とジュードが小さく呟いた。暗闇の中、彼の表情はパリスメイアにはよく見えなかった。
 そう歩かないうちに、このあたりかな、と壁に手をつけて歩いていたジュードが立ち止まる。手探りで何かを探すと、壁がすっとわずかに動いた。一センチあるかないかの隙間から、ジュードが外の様子を伺う。
「当たりみたいですね」
 零れた灯で、ジュードがにやりと笑うのがはっきりと見える。
 パリスメイアも隙間から覗き込むと、父である皇帝の座る玉座と、そしてざわめいている会場内が伺えた。皇帝は玉座に座っていて、ここからでは怪我をしているかどうかは分からない。すぐそこにいるのに、とパリスメイアは焦れるが、ジュードがすぐに出て行くことを許してくれなかった。

「……まったく、大事な建国祭の宴に武器とは、無粋だな」

 苦笑まじりの皇帝の声はしっかりしていて、パリスメイアはひとまずほっと息を吐き出した。
「愚かな王などいらん! サジム様の求めた正しく強いアヴィランテを再興するのだ!」
「……愚かはどちらだ。甘い汁を啜りたいだけの羽虫が」
 会場に一般参加していた無関係の貴族は一ヶ所に集められているのだろうか。玉座に座り悠然と嘲笑する皇帝の周囲には、武器を手にした男たちしかいない。
「サージェスあたりでも傀儡の王に据えるつもりか。おまえら程度で治める国など、すぐに他の国の食い尽くされるだろうな」
 南国に大きく国土を広げるアヴィランテとはいえ、東にはシン帝国、西にはアルシザスと油断ならない国がいくつもある。事実、先の内乱では一部の国土が奪われかけた。
「真に愚かなのは己の欲に目が眩み、国を、民を見ていないおまえたちだ。前回は尻尾を掴めずに見逃したが今回ばかりはそうはいかないな」
「黙れ! 貴様の血筋は今日この日絶えるのだ!」
 依然として微笑みを浮かべ余裕の表情の皇帝に、男が一人剣を振り上げる。皇帝のそばに、盾になるような人間はいない。避けるつもりもないのだろうか、皇帝は微動だにしなかった。
「父上っ!」
 パリスメイアが悲鳴と共に飛び出して、玉座に座る父を庇うように抱きしめた。チッとどこからか舌打ちが聞こえた。考えて行動なんてできない。パリスメイアにとっては、たった一人の、肉親なのだ。
 金属と金属が激しくぶつかる音のあとに「まったく」と少し焦りを滲ませて、それでも呆れたような声が降ってくる。
「……勝手に飛び出さないでもらえますかね。こんなときだけお転婆とは」
 恐る恐る顔を上げたパリスメイアは、皇帝とパリスメイア二人を守るように立つジュードの後ろ姿を見上げた。
「貴様……!」
「おまえは……」
「裏切り者の子どもめ!」
 ジュードの登場に驚く一方で、男たちは彼を睨みつけた。皇帝に向かって振り上げられた剣は、ジュードが弾き飛ばしたらしい。その見事な剣さばきに見惚れることもなく、男たちは罵声を浴びせた。
「いかにも。南の姫と謳われたシェリスネイアの息子、ジュード・ロイスタニアですが」
 自分に向かってくる汚い言葉にも、そして明確な殺意にも顔色を変えず、ジュードはにやりと笑い剣をかまえた。
「どうしたんですか? 皇帝陛下は俺の後ろですよ?」
 かかってこいと言わんばかりの挑発に、パリスメイアは息を呑んだが、その肩を皇帝は優しく抱き寄せた。
「もう少し優雅な登場を期待したんだけどね」
「それは、貴方の娘に文句を言ってください」
 肩越しにちらりとパリスメイアを見ながらジュードが言い返した。考え知らずの行動だったことは自覚しているので言い返せない。
「……まぁ、及第点はあげようか」
「それはどうも」
 皇帝とジュードの、場を読まない呑気な会話に、パリスメイアの肩から力が抜けていくようだった。
「なにをごちゃごちゃと……、?!」
 また一人、剣を手にこちらへ歩み寄ろうとした瞬間だった。
 皇帝を取り囲んでいた反逆者たちを取り囲むように、先ほどまで動けずにいた他の貴族たちが剣を手に反逆者を囲い込む。
 にっこりと、皇帝は満足げに微笑んだ。
「終わりだ。つまらない余興だったな」
 この首を狙うなら、もっと楽しませてほしいものだ、と皇帝はパリスメイアの肩を抱いたままため息を吐き出す。パリスメイアはまだひやひやしているくらいなのに、余裕ある皇帝の姿に場数が違うと思い知らされた。
「こちらに味方がいないと思っていたのは、おまえたちくらいだよ」
 中立派の貴族を思われた人々は、実際には皇帝を慕う貴族たちだった。私腹を肥やし、権力をふるっている古き貴族たちとは違い、力をあまり持たなかった弱小貴族を現皇帝はその能力に見合った地位を与え、今日この日のための下地を築いていたのだ。
 続けて衛兵が会場内に流れ込んできて、瞬く間に事態は収束した。
 ――あまりにあっけない。
「今日の一件以外にも悪事の証拠は揃っている。人身売買、麻薬の密輸に販売も、まぁ大きなことから小さなことまでね。覚悟しておくといい」
 囚われた男たちを一瞥して、もう容赦はしない、と皇帝は冷ややかな微笑みを零した。
「これまでの腐り切ったアヴィランテは今日この日、この瞬間を、もって終わりだ。これよりは新しき国と思い尽力してくれ」
 会場内に響く皇帝の宣言に、わあぁ、と声が上がる。
 国内の勢力は現皇帝に反発する一派と中立派がほとんどで、皇帝の絶対的な権力一つで成り立っていたのだと思っていた。だが違う。皇帝は、父は、しっかりと味方を作っていたのだ。この瞬間に共に喜んでくれる、確かな味方を。

 のちに詩人は、歴史家は、この日のことをこう語る。


 ――長き夜は終わった、アヴィランテの夜明けだ、と。


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