平凡皇女と意地悪な客人
22:力になれて、よかったです
無粋な連中が牢へと連れて行かれ、改めて始まった建国祭の宴は、今までにないほど盛り上がっていた。音楽は鳴り響き、ここにさきほどまで反逆者がいたなんて思えないほどに、皆が笑いあっている。
体験したことのない熱気に、パリスメイアはほぅ、と息を吐き出す。後宮に引きこもってばかりのパリスメイアは、こうして宴に参加した経験もあまりないのだ。
「疲れました?」
突然隣から落ちてきた声に、パリスメイアは驚いて小さく声を上げた。
「……貴方、さっきまで酒比べに参加していたじゃないの」
じろりと声の主を見上げながらパリスメイアは呟く。若い貴族たちと打ち解けたジュードは、誰が一番酒に強いかなんてくだらない賭け事に参加していたはずだ。
「抜けてきました。他はほとんど酔いつぶれてますし」
けろりとしているジュードの他の挑戦者たちは、テーブルにうつぶせていた。今夜は無礼講だ、と皇帝陛下の言葉どおり、夜も更けてきて皆すっかり出来上がっている。
「お酒も強いの?」
ジュードの声はしっかりとしているし、酔っているようには見えない。隣に並んでいるとわずか酒の香りが漂ってはくるが。
「……も?」
くすりと笑って、ジュードが首を傾げた。その様子に、パリスメイアは平気そうに見えるけれど彼も少しは酔っているのかもしれないな、と思った。いつもより、少し行動が変だ。
「……剣も、すごかったから」
「そりゃあ小さい頃から鍛えてますから。向こうは南ほど殺伐としたことはありませんけど、まるっきり平和ってわけでもありませんしね」
酔っているのかと思わせておきながらも、ジュードは淀みなく答えた。酔って少しでも本音が見えればいいのに、とパリスメイアは隣に立つジュードを見上げる。いつだって、何を考えているのか分からない。
「――姫はそろそろ部屋に戻ったほうがいいですよ。ここには酔っ払いしかいませんし」
送りますから、という申し出にパリスメイアは素直に頷いた。もともと女性はほとんどいない宴で、パリスメイアは暇を持て余していたのだ。
熱気に包まれた会場を出ると、涼しげな夜風が頬を撫でる。
「そういえば、聞いてもいいかしら」
ぽつりと呟いたパリスメイアの声は、夜の闇に吸い込まれていく。賑やかな場所から出た途端に妙に静けさが目立った。
「どうぞ?」
何を聞くかも言っていないのに、ジュードはなんの躊躇もなくパリスメイアに先を促す。
「……裏切り者の、息子って」
反逆者の一人が、ジュードを見てそう叫んでいたのを、パリスメイアはしっかりと見て、聞いていた。あの時には聞けるようなタイミングもなかったけれど、胸の奥でずっとひっかかっていたのだ。
「……ああ、母のことですよ」
そうなのだろうとは思ったけれど、思ったよりもあっさりとジュードは答えた。
「もとはサジム派だったんです。まぁ、自分の母を人質をとられていたようなものなんですけど。当時南の姫と有名な美姫だった母は、たくさんいる姫の中でも有力な駒だったんですよ」
およそ三十年前、皇子は暗殺されるなどで多くはいなかったが、皇女は別だったという。後宮にはたくさんの皇女がいて、たいていは政治の道具にもならないただのお飾りの姫だった。たった一人を――ジュードの母、シェリスネイアを除いては。
「サジムは昔からの貴族たちを味方につけていたし、王宮や後宮に大きな影響力を持っていて、陛下は……ヘルダム様は、新興貴族たちや豪商を味方につけていた勢力ですから、母の身を守るにはサジムにつくしかなかったんです」
苦笑しながらジュードは「だから」と続けた。
「俺自身も、十分にああいった連中を刺激する人間だったんですよ。だからこそ今回呼ばれたんだし」
「……陛下と手を結んでいたってことよね」
今までも少し不思議だった。いろいろな場面で、あまりにもジュードと皇帝は呼吸が合っていた。皇帝が剣をふりかざされたあの瞬間だって、きっとジュードがそばにいるとわかっていたんだろう。
「国内の陛下に味方しているような貴族では、あの連中に抵抗するには力が足りませんでしたから。それに、姫の相手役として話題になったところで握り潰されるし問題視もされないでしょう。煽ることもできない」
「……わかっていてアヴィラに来たの?」
「そうですね」
ジュードの用意周到なあれこれは、きっとネイガスを発つ前から想定して準備していたということなのだろう。
――変な人だ。他国のために、ここまでするなんて。
分かりにくいけれどこれがジュードの優しさなのかもしれない、とパリスメイアは思う。ジュードがいなければ、ここまでうまくことは運ばなかっただろう。彼はアヴィランテの変化の一石となったのだ。
「アヴィラは変わるかしら」
「変わりますよ、これから。いつか女王も生まれるかもしれない」
国を揺るがす大きな変化が、起きたのだ。これからの動き次第で、良くも悪くも変わっていくだろう。――パリスメイアたちの世代が新しいアヴィランテを築いていくのだ。そう思うと背筋が自然と伸びる。
「力になれて、よかったです」
ジュードは、まるで仕事を終えたような顔をしていた。そしてパリスメイアは納得する。――そうだ、彼はやるべきことを終えた。
建国祭は、あと数日続く。この祭の間はジュードはいるだろうと思っていた。……だが。
「……貴方、いつまでアヴィラにいるの?」
三度目の問いは、喉に張り付いてうまく声に出せなかった。けれどジュードにはしっかり聞こえたのだろう、柔らかく彼は微笑んだ。いつもと変わらない、心の内を見せない笑顔。
「姫が帰れと言うのなら、帰りますよ」
それは、今までの答えと似ているようでまるで違う答えだった。
どくんと心臓が危険信号を発する。口を開くな、とパリスメイアの中で誰かが騒ぎ立てる。けれど、渇いた唇を動かして、パリスメイアは告げた。
「……そう、なら早く帰ればいいわ。ご家族だって心配しているでしょうし」
きっと彼のことだから、パリスメイアが冷たく言い放とうが、何を言おうが、へらりと笑って茶化すに決まっている。
そう思っていても、パリスメイアの胸はどくどくと早鐘を打っていた。
――そんなことつれないことを言って、姫は素直じゃないですよね。
――まだ帰るつもりはありませんよ。
そんな言葉を待っていたのに。
「……そうですね」
わずかな間を置いて返ってきた答えに、パリスメイアは何も言えなかった。
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