銀の王子と強がりな姫君(5)






 結局自分で話すすべなく、恥を忍んでセオルナードは妹に頼み込んだ。力を貸してくれ、と。その結果、カーネリアの名前を出さなければならなかったのは致し方ないが、それがキリルに伝わったことについては妹に厳しく言及したい。しかし、口が軽い女はどうかと思う、とやんわりと告げると、今にも泣き出しそうな顔をしたので結局は強く言えなかった。妹というのはこれだからずるい。泣かれるとこちらが悪いことをしている気がしてくるのだ。
 そして、もろもろバレて恥をかいたというのにも関わらず、問題が起きた。

 ――逃げられたのだ。

「お兄様から相談を受けて、すぐにお茶会に招待したんですけれど……時既に遅しでしたわ」
 お力になれずごめんなさい、としょんぼりした妹に、セオルナードも肩を落としたくなった。
 なんとカーネリアは、今朝早くに国に帰ってしまったのだという。
 連日開かれた夜会も今夜まで。参加した王族の中には、同じように今日発つ者も少なくはない。ハウゼンランドで開かれる夜会は数日続けるために、遠方の国からの参加者は開始してからやってきたり、または終わる前に帰国したりもする。なので、帰国する王族についてセオルナードもノーチェックだった。
「まぁー……今朝発ったなら、まだ海は越えてないだろうな。今頃は国境付近ってとこか」
 何気なく言っただけなのだろう。キリルの予測に、セオルナードはどきりとした。国境。姫を乗せて移動する馬車だ。それほどスピードは出さないし、もしかするともう少し手前にいるかもしれない。急いで馬を走らせたら――。
 そこまで考えて、首を横に振る。何を考えているんだ。追いかけて、そしてどうする? 許しを乞うのか、それとも?
「今から謝罪の手紙を書けばよろしいのでは?」
 フランディールが現実な案を出してくれても、セオルナードの耳には届いていなかった。周囲の音がどこか遠く感じる。どくどくとうるさい自分の心臓の音がやけに響いていた。

 もう会えないのだろうか、という思いが湧いてくる。

 カーネリアも結婚適齢期だ。そう何度も国を出て外交の場に顔を出すこともないだろう。もしまたハウゼンランドで夜会を開いても、来てくれるとは思えない。それだけのことはした。してしまった。

「お兄様?」

 反応のない兄に首を傾げる。肩を揺さぶろうとしたフランディールの手を、キリルが止めた。
 ちょっと何するのよ、とフランディールがキリルを睨むが、思いのほか真面目な顔をしていたキリルに、フランディールは何も言えなくなる。
「セオル」
 低い声が、しっかりとセオルナードの名を呼んだ。

「おまえはどうしたい?」

 それは、セオルナードにとって逃れがたい誘惑の言葉だった。

 セオルナードもわからない。
 ただ、冷静になれと言い聞かせ、自分が心の奥底に沈めた本能が騒いでいる。先程からうるさいのは心臓の音だけじゃなかった。耳を塞ぎたくなるほど自分勝手な願い。

 ――もう一度、彼女に会いたい。





 逃げてきてしまった。

 まだ滞在は一日あったのに、逃げてきてしまった。
 馬車の中で揺られながら、カーネリアは何度も何度も同じことを繰り返し考えていた。それ以外のことを考えようとすると、浮かぶのはどうしてかあの夜の、あの一瞬の出来事なのだ。
 唇に触れた、柔らかい何か。
 間近で見た青い瞳。
 思い出しただけでも、心臓が飛び出そうになる。ばくばくと早鐘を打ち、呼吸すらままならない。顔は熱くなるし、いったいなんの魔法か呪いか、頭の中がいっぱいになってまともな判断ができなくなる。
「忘れなさいカーネリア!」
 自分の頬をぱち、と叩いて気合いを入れるが、それでも油断すれば感触が蘇る。唇にかかる吐息の熱すら、まざまざと思い出してしまうのだ。あの時には考える余裕もなかったくせに、時間が経つほど記憶は鮮明になるなんて。昨日の晩もそのせいでろくに眠れなかった。
 気の迷いだ。何かの間違いだ。自分を映した青い瞳が、どんなに熱を帯びていたように見えたとしても。
「殿下もふざけていただけかもしれないし」
 でも、ふざけてキスなんてするような人かしら?
「もしかしたら酔っていたのかもしれないわ」
 それはありえる。夜会の席でお酒を一口も飲まないなんてありえないし。
「どうせもう会うこともないのだから、私が忘れてしまえばいいのよ」
 国にも居づらいというのに、他国でまで問題を起こしてなんていられない。別に、嫌だったわけじゃないのだから、忘れればいい。ちょっと、いやかなりびっくりしただけで、不思議と嫌な気分にはならなかったのだ。

 むしろ、
 むしろ、この人だったら、私だけを愛してくれるんじゃないだろうか。なんて。
 そんなこと考えたなんて。

 かあああ、と頬が熱くなる。何を考えているのだろう自分は!
 頭を冷やすレベルの話じゃない。

「姫、まもなく港に着きますよ」
 今夜はそこで一泊し、明日の朝に国へ向かう船に乗る。潮風の香りに懐かしさを覚えた。海から離れていたのは、そう長い期間ではなかったはずなのだけど、やはり少し故郷が恋しくなってきているのかもしれない。
 夕闇が迫るなか、私はゆっくりと馬車を下りる。ハウゼンランドとはそれほど遠く離れたわけではないのに、空気がまるで違う。あそこはとても澄んだ、山の気配が濃い空気に満ちている。ここは港町というだけあって、やはり海の気配が強い。私には慣れ親しんだものだが、ハウゼンランドの空気もまた好きだったな、と笑う。もう行くこともないだろうけど。
 国に戻れば、おそらく父が慌てて用意した婚約者候補の吟味が始まる。私の意見などあってないに等しいだろう。妹の醜聞を誤魔化すために、私は早く身を固めなければならないのだ。
 しかたない。
 ため息を零しながら、私は今回の旅を思い出にしまうことにした。最後の最後に少しでも恋のような体験ができてよかったじゃない、カーネリア。



「――――――ひめ!」



 夕焼けを切り裂くような、声がした。
 どきりと心臓が鳴る。まさか、とその声に聞き覚えのある自分が淡い期待を抱く。そんなことあるはずがない。
 ゆっくりと、声のした方へ振り返る。

 沈む夕日に照らされて、彼の髪は金色に輝いて見えた。















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