銀の王子と強がりな姫君(6)






 月光の下では銀色に輝いていた髪が、夕日に照らされて金に光る。

 息を呑んだ。どうして、という疑問と、うつくしい青年の姿に目が離せない。慌てた様子でこちらにやってくるのを、ただただ見て待つしかできなかった。

「殿下、どう……して」

 ようやく口にした言葉はそんなもので、瞬きすら忘れて彼を見ていた。ハウゼンランドの空の下にいるはずの、セオルナードを。
「……姫が、発ったときいて」
 息を切らしながら答えるセオルナードの額からは汗が流れていた。先に発ったカーネリアに追いつくために、それは急いだに違いない。周囲を見ても護衛らしい護衛もいなかった。遠くにいた黒髪の青年と目が合うと、青年は笑って手を振ってくる。身なりからしてもセオルナードの護衛というよりは同行者――だろうか。隣にいる小柄な人影は、明らかに女性のようにも見えるが。
「ただ、一言直接謝罪したい。許されることではないが、申し訳ありませんでした」
 たった、それだけのために?
 カーネリアは驚きで言葉も出なかった。あんなこと、いや、カーネリアにしてみれば大事だったのだが――しかしあれだけのことで、一国の王子が、しかも王国の跡継ぎが、まともな護衛もつけずに国を飛び出すなんて!
「自分でもよくわからないのですが、その、身体が勝手に――いやしかしそれを理由に弁解するわけではないのです。不愉快な思いをさせてしまっただけでなく、未婚の女性の唇を」
「で、ででで殿下!」
 自分でも何度も繰り返し思い出していたとはいえ、相手に言葉で説明されるのはなんという破壊力だろうか。カーネリアは顔を真っ赤にしてセオルナードの口を塞いだ。
 目を丸くしたセオルナードも、カーネリアの様子を見て察したのか、ゆるゆるとカーネリアが手を放すと小さく「申し訳ない」と呟いた。
「しゃ、謝罪は受け取ります。こちらこそ、その、驚いたとはいえ殿下の頬を……」
 ひっぱたいた、なんて。
 口ごもるカーネリアに、セオルナードは「ああ」と笑った。
「あれくらいのことは、されて当然ですから」
「でも、ごめんなさい。腫れたでしょう?」
 なんせ力の限り、思いっきり叩いたもの。
「母から受ける剣の稽古に比べれば、ひよこにつつかれたようなものですよ」
「は、はぁ」
 聞き間違いだろうか。『母』から剣の稽古を受けると聞こえたのだけど。
「でも、許してくださってよかった」
 ふわりと笑う顔は、わりと幼い。そういえばこの人は、自分とたいして変わらない年齢ではないか、とカーネリアは思った。随分と大人びて見えたのは、月の魔力だったのだろうか。
「殿下が護衛もつけずにこんなところまで……いくらなんでも危険です」
「ああ、大丈夫ですよ。これでも剣の腕には自信がありますし――あそこにいるのは、我がハウゼンランドの剣聖の息子ですから。あいつは旅にも慣れていますし」
 そう言って指さしたのは、先ほどの黒髪の青年だ。今は隣にいる少女と――フードを外したおかげで顔が見ている――何か話し込んでいるようだった。遠目に見てもかなりの美少女だ。
 剣聖の名は、ルヴィリアにも届いている。ハウゼンランド一の剣豪。今その称号は、国王陛下の妹君を娶った元帝国の皇子のものだったはずだが――。
「つまりは公爵閣下のご子息ということではないですか! そんなハウゼンランドの未来において重要な方々が二人も、国外にふらりと出てよいはずがないでしょう!」
「あ、いえ、彼はわりといつものことなので誰も気にしないというか」
 実は三人なんですけど、と小さく呟かれた言葉は、幸いにしてカーネリアのもとには届かなかった。
「私の護衛をおかしします。帰りはそれで――」
「それでは姫の護衛がいなくなるでしょう」
「私はあと船に乗って国に帰るだけですもの、たいした危険などありません」
「船の上で何かあったらどうするのです!」
「殿下こそもし何かあったら――」

「はーい、そこのおふたりさん」

 カーネリアとセオルナードが口論を始めたのに気づいたのか、遠くで見守っていたはずの青年が割って入った。
「どうせもう夜です。今からどこに向かうにしても危険に変わりありません。ここはこの町で全員一泊が無難でしょう。あとのことは夕飯の時か、まぁ明日にでも」
 現実的な提案に、カーネリアもセオルナードも頷いた。
「泊まるってどこに? 私たち身分を隠して入国しているのに」
「宿屋に決まってんだろうが。この際二人とも後学のために町の生活ってものを見ておけ」
 首を傾げて問う少女の額を小突きながら青年はてきぱきと準備していく。まさか、王子が宿屋に、と驚いているのはカーネリアだけで、セオルナードは気にした様子もない。
「え、い、いいんですか?」
「フランは駄々をこねるかもしれませんが、俺は特に。いい経験だと思ってますよ」
 もともとこの町で一泊する予定だったカーネリアは、もっとも良い宿屋に部屋をとってある。そこに口をきいてもよかったのだが、提案する間もなく彼らは宿屋を見つけて値切り交渉までした挙げ句にすんなりと決めてしまった。宿屋一階の酒場でさっさと夕飯を食べようという始末だ。これが王族と貴族というのだから驚くしかない。よくよく見れば、彼らの服装は身分からすれば随分と粗末なもので、酒場の中にも溶け込んでいる。つい一緒に来てしまったカーネリアは、目立つからとセオルナードが来ていたマントを借りて上から羽織った。
「ああそうだ。申し遅れました、俺のことはキリルと呼んでください。こっちはフランと」
 丁寧で面倒な名乗り方でないのは、この場に合わせたものなのだろうか。そういえば誰もカーネリアやセオルナードのことを「姫」とも「王子」とも呼んでいない。
「フラン、さま、というと」
「フランだけで大丈夫ですわ。お察しのとおり、妹です」
 どちらの、とは聞かなくとも分かる。セオルナードの、だ。キリルの妹とするには見た目があまりにも違う。フードをかぶったままにしているのは、目立つからだろう。
 金の姫、銀の王子と呼ばれるこの大陸でも有名なハウゼンランドの兄妹――。それが、こんな、酒場でのんびり夕飯を食べているなんて!
「フラン、それ熱いぞ」
「子どもじゃあるまいしわかっているわ」
 それにしても会話している様子を見ていると、キリルと兄妹だと言っても不思議ではない。
「キリルとは従兄弟ですし、幼なじみでもありますから。俺にしてみても兄みたいなものですよ」
 カーネリアの心のうちを読みとったように、セオルナードが言う。
「むしろ、良かったんですか? 俺たちと一緒にこんなところで食事をとって」
「いえ、あの。ルヴィリアは小さな島国ですし、こういう雰囲気には慣れているんです。しょっちゅう出歩くわけではないですし、実際に食事をするのは初めてですが」
「ああ、そうなんですか。まぁうちも似たようなものですけどね。じゃなきゃキリルがふらふら出歩けるわけがない」
 くすくすと談笑する二人を、兄妹のように眺めながらキリルとフランディールはこそこそと呟いた。

「わりといい感じなんじゃね? 俺たちとは別の世界作ってますけど」
「そうよねぇ、いっそお義姉様と呼んでもいいかしら」

 いやそれはまだ早いだろとかなんとか言いつつ、二人の会話は酒場の喧噪に紛れて本人たちの耳には届いていなかった。













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