銀の王子と強がりな姫君(7)






 賑やかな夕食のあと、カーネリアは一人別の宿屋へと戻った。急いでやってきたこともあり、道中での疲れは抜けきっていない。三人は夜も早くから寝ることにした。
「んじゃ、何かあれば叫ぶなり騒ぐなりしろよ」
「はーい」
 一人別室のフランディールにそう声をかけるキリルは、やはりどこかお兄ちゃんらしい。一人っ子なのになぁ、と思いながらセオルナードは部屋に入った。
 フランディールは寂しがり屋なところもあるので、三人一部屋でもいいんじゃないかと言ったりもしたが、そこはきちんとした「お兄ちゃん」だ。妙齢の女子が男と一緒の部屋でなんか寝るな、と一蹴されていた。三人一緒に乗り気だったフランディールも今頃は部屋でぶつぶつと文句を言っているかもしれない。
 はあー、と息を吐き出しながらキリルはベッドに腰を下ろす。さすがの強行軍にキリルも疲れたのだろう。まして彼はフランディールも乗せて馬を走らせていたから。
「つきあわせて悪い」
 隣のベッドに座りながら告げると、キリルは「いーよ」と手をひらひらと振る。
「おまえ、わりと向こう見ずだから。こういうときにはちゃんと保護者がついていないとなー」
「誰が保護者だ」
「俺が、おまえらの、保護者」
 いちいち強調してくるあたりがまたわざとらしいのだが、今回のことでかなりキリルを頼った自覚はあるので言い返さなかった。何しろセオルナードもフランディールも、キリルなしでは宿屋で部屋をとることすらできなかったかもしれない。
「んで、どうすんの」
 ごろんとベッドに横たわって、天井を見上げながらキリルは問いかける。セオルナードはきょとんとして「何が」と答えた。長い長いため息が聞こえる。
「お姫様をこのまま帰すつもりかおまえ」
「当たり前だろう。謝罪もすんだし、許してもらえたことだし――」
「それでいいのかよおまえ」
 まただ。
 ぐさりと心臓を刺すような、キリルの言葉。セオルナードはすぐに答えることができずに、ただ黙り込んだ。カーネリアと再会してから鎮まっていたはずの本能がまた騒いでいる。今度は何を望むというのか。会いたいと思った。会えた。会って話すことができた。これ以上に、何を。
「何をしにここまできたんだよ」
「姫に、謝罪するために」
「本当にそれだけか?」

 ――ただ、会いたかった、なんて。
 そんな恋人に焦がれているようなこと、恥ずかしくて言えるわけがない。

「……俺の予想だけど」
 ぽつりとキリルが呟く。その声はやけに部屋の中に響いていた。
「お姫様、このまま帰ればすぐに縁談が用意されて、さっさと結婚させられると思うけど」
「どうして」
「おまえだって馬鹿じゃないだろ。ルヴィリアの下の姫が姉の婚約者寝取ったってハウゼンランドにまで噂になっていたし、そんな醜聞誤魔化すには姉の結婚が一番だろ。どこの国の王子か、はたまた国の有力者か。とにかくめでたいなって濁してしまいたいんだろうさ」
 そうして妹の結婚はひっそりと済ませてしまうつもりなのだろう。容易に想像できる。セオルナードは見ない振りをしてきた現実に、苦々しい思いで唇を噛んだ。
 彼女なら、カーネリアならそれも受け入れるのだろう。しかたないのだと。
「……そーんな顔するくらいならおまえがもらえばいいじゃん」
 馬鹿、と小さな呟きに優しさが滲んでいる。
「そういうことは、俺が決めることじゃない」
「陛下は何も言わないだろうし、向こうさんは渡りに船だろ。問題なのはおまえら本人同士の意志くらいだな」
「それが、問題なんだろうが……」
 あんなことをした男に、どうして好意をもてるというのか。落ち込んだセオルナードの姿に呆れたキリルは枕を投げつけた。見事、セオルナードの頭に直撃する。
「なにする!」
「うるさいこのヘタレが! 普通の女なら嫌いな男にキスされたら二度と顔も見たくないだろうさ! それが二人で仲良く談笑して、きゃっきゃうふふと笑い合っていたくせにどうしてしょぼくれてんだよ鈍感!」
 完全に勢いで負けて、セオルナードは口をぱくぱくさせる。昔からそうだが、キリルに口で勝てない。剣でも勝てた試しがないが。
「どうせなんだから当たって砕け散れ! そのほうが諦めもつくだろうな!」
 言いたいことだけ言うと、キリルはそのまま寝てしまった。投げつけられた枕を抱えたまま、セオルナードは天井を仰いだ。



 翌日は腹立たしいくらいに快晴だ。
 朝早くからキリルとフランディールは市場を見てくるなんて言っていなくなるし、セオルナードはため息を吐き出した。どうせキリルの仕業だろう。自分一人で決着をつけろ、と。
「で……セオル様」
 殿下、と言いそうになったところを慌てて言い直し、カーネリアは駆け寄ってきた。こちらから迎えに行ったのに、と思いながらもセオルナードは手を振る。
「おはようございます。いい天気ですね」
「ええ、海も穏やかだ」
 この様子なら、船の旅は安全なものとなるだろう。
「もう少ししたら、迎えの船が来ることになっています。船に乗ってくる護衛もいますし、やはりわずかですが私の護衛をおかししますわ。セオル様がいくらお強くても、大事な方ですし」
 ふわりと微笑むその笑顔から、セオルナードは目が離せなかった。髪を撫でたい。頬に触れたい。許されるのなら、抱きしめたい。溢れ出す欲に頭を抱えたいくらいだ。
「……このまま」
 カーネリアの笑顔に曇りはない。この先に待ち受ける未来を、彼女は受け入れてしまっているのだろうか。
「このまま国に帰って、あなたはしあわせになれますか」
 問うと、途端に彼女は顔を強ばらせた。先ほどまでの柔らかな笑顔など消え去って、黙り込んだまま俯く。
「好きでもない男と、なし崩しで結婚しても、いいのですか」
 重ねた問いに、堪えきれなくなったようにカーネリアはセオルナードを見上げた。見上げてきた瞳は涙を滲ませている。
「どうしようも、ないでしょう! それも、王族の務めだと思っています」
「妹君や婚約者に傷つけらた傷も癒えないのに?」
「傷ついたわけではありません。彼を愛していたわけでもない」
 しかしそう告げるカーネリアの横顔は、確かに傷つけられていた。信じていた妹に、婚約者に裏切られて。守ってくれるはずの両親に守られず。
 セオルナードは気丈に振る舞うカーネリアの姿に、胸が締め付けられるような気がした。彼女が甘えられる男のもとで、ただしあわせそうに笑ってくれればいいのに。

 ――それが、自分であれば。

「……姫」
 セオルナードはカーネリアの手をゆっくりと持ち上げると、掌に口づけた。
「さらってしまっても、いいですか?」
 カーネリアの目が大きく見開かれる。え、と漏れた声は、カーネリアを呼ぶ声でかき消された。
「あ」
 迎えがきた、とカーネリアは悟った。もう時間切れだ。しかしセオルナードはカーネリアの手を放さなかった。
「俺とともにくるのが嫌なら、五秒数えるうちにこの手を振り払ってください」
 セオルナードは真剣だった。微笑むその姿は、もう何もかも覚悟しているようにも見える。
「ご」
 どうしようどうしようどうしよう。
 握りしめられた手は、カーネリアが力を入れなくても簡単に振りほどけるほどにやさしい。
「よん」
 カーネリアを呼ぶ声はどんどんと近づいてくる。心臓が痛い。握られている手は熱を帯びている。
「さん」
 どちらの熱だろうか。カーネリアの、それともセオルナードの?
「に」
 振り払えるわけがない。
 たぶんもう、この結末は決まってた。カーネリアはあの晩に捕まっていたのだ。
「いち」
 この、うつくしい青年に。
「ぜろ」
 告げると同時に、カーネリアは抱き上げられていた。細身の身体のどこにこんな力があるのだろうかというくらいの安定感で。
「キリル!」
「へいへい!」
 どこで示し合わせていたのだろうか。キリルが馬を連れて現れる。フランディールは既に馬に乗っていて、一頭の手綱をセオルナードに渡した途端にキリルはフランディールの乗る馬に飛び乗る。
 目を白黒させているうちにカーネリアもセオルナードの馬に乗せられ、瞬く間に港町から脱出していた。これは、もしかして、俗に言う駆け落ちになってしまうのではないか?
「あ、ははは」
 馬を走らせながら、セオルナードが笑い出す。
「で、殿下?」
「セオルと呼んでください。さっきみたいに」
「セ、セオル様?」
 呼ぶと、セオルナードは「はい」と満足げに笑った。幼い笑顔に、これが彼の素なのかもしれないとカーネリアは思う。
「なんだか楽しくなってきて。無茶するのもたまにはいいなぁ、と」
「俺はこんな無茶苦茶した覚えはないけどな」
 皮肉をこぼしながらもつきあっているのだから、キリルも相当に場慣れしている。
「姫」
「はい?」
「カーネリア、と呼んでも?」
 名前を呼ばれた瞬間に、心臓がどくんと鳴る。今までにない感覚だった。身体中の血液が沸騰するみたいに熱い。
「は、い」

「カーネリア」

 耳元にかかる吐息がくすぐったい。

「あなたが好きです」 

 人生初の愛の告白は、逃走中の出来事だった。













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