金の姫と婚約者候補たち

第3章:本当の恋ってなんですか?(1)







 その日の晩餐に、フランディールは姿を現さなかった。
 ヒースは当然何も言わなかったし、キリルも触れなかった。ヴェルナーも何かがあったのだろう、ということは空気から察することができたので、誰かに問いただすことはしなかった。
 誰も口を開かないものだから、妙に気まずい雰囲気になるのは致し方ない。
 そして三人とも食事を終え、それぞれが部屋へ戻ろうとした時だった。

「ヒース」

 一番先にいるヒースを、心なしかいつもより低い声でキリルが呼び止めた。ヒースが振り返ると、どすんと腹部に拳が入る。一瞬息ができなくなってヒースは噎せた。
「な、に、を」
 ごほ、と咳き込みながらヒースはキリルを見た。彼には珍しいくらいに無表情で、キリルはヒースを見下ろす。
「制裁」
 端的な言葉に、ヒースはすぐ納得した。身に覚えはあるだろ、とキリルが冷たく言い放つ。
「……泣かせんな。あいつの気持ちを、おまえが決めるな」
 地を這うような低い声に、キリルの怒りを肌で感じる。キリルは続けて何か言おうと口を開き、少し迷いを見せたあとで黙り込んだ。そして結局それ以上は何も言わずに、扉を開ける。
「嘘は言っていない」
 ヒースがキリルの背に声をかけると、キリルは振り返ることなくただ立ち止まった。
「姫は私に恋をしているんじゃない。ただ、恋に憧れているだけだ」

「……そうだとしても、それを本人に言う必要はないだろ」

 否定をしないキリルに苦笑して、ヒースは黙ってその背を見送った。ふぅん、と今まで黙っていたヴェルナーがヒースを見る。
「フランに告白されたんだ?」
「ええ」
「そして断った」
「そうですよ」
 ヴェルナーは「そう」と小さく呟いた。少し寂しそうに、それでいてほんの少し安堵したように。しかしすぐにいつもの表情に戻った。三人の婚約者候補のうち、彼だけが年下なので子供っぽく見えないようにしているようだということに、ヒースは気づいている。
「なんで断ったの? そもそも断るならなんで婚約者候補なんて引き受けたのさ」
 もしフランディールが婚約者に選んだ時、それを断る候補者なんてありえない。そもそも婚約者を選ぶ権利はフランディールにあり、選出された時点で候補の三人には選択肢などないはずなのだ。
「今の姫は、それこそ恋に恋をしているだけですよ。年上の男に守られて、私が好きだと勘違いしているだけです」
「……その言い分はわからなくもないけど」
 初恋なんてそんなものだ。だから、初恋は叶わない。本当の、焦がれる恋とは違うからだ。
「夢を見せてあげても、よかったんじゃないの」
 なにも辛い思い出にさせることなどなかったのだ。ほんの少しでも、甘い恋を楽しませてやってもよかっただろうに。
「我々は恋人ではありません。婚約者候補です。そのなかから特別親しいものができれば、周囲はおのずと『婚約者』と決めてしまうでしょう」
「だからわざわざ傷になるように振ったの? いい性格してるね」
「そういう役回りになるだろうな、と思っていたので」
 苦笑しながら、ヒースは答えた。
 ヴェルナーだってわかっていた。自分に巡ってくるのは恋の相手ではなく、相談役だ。そしてキリルはこうなったときのための慰め役。
「……それにしても、キリルを怒らせるなんてやるなぁ。僕、彼が怒ったの初めて見たんだけど」
 キリルが去って行った方を見て、ヴェルナーは感心したように呟いた。キリルという男は基本的にへらへらしていて、諭すことや少し苛立つことはあっても、あれほど怒ることはなかった。冷静さを欠いた様子はなかったが、問答無用で殴ってきたあたりかなり怒っている。
「奇遇ですね。私も初めて見ましたよ」
「もしかして、キリルってフランが好きなのかな」
 ヴェルナーが顎に手を当てて思案する。キリルとフランディールの間にはいつも甘い雰囲気なんてなかった。あるのは気安さだけだ。
「どうですかね。私としては殿下の耳に入っているかどうかか恐ろしいんですが」
「セオルの? どうして?」
 ヴェルナーからしてみれば、実の兄であるセオルナードの方が、ヒースの言い分を理解してくれるように思えるが。
「知らないんですか? 殿下の方が最終的なところでは姫に甘いですよ」
 普段は良き兄であるように心がけているものの、フランディールが兄を慕っているようにセオルもフランディールを可愛がっている。
「今回の件が知れたら、殿下からも殴られるんでしょうね」
 覚悟していたとはいえ、さすがに辛い。ヒースは損な役回りに溜息を零すしか抵抗する術はなかった。




 泣くだけないたら、もう涙は出なかった。部屋に閉じこもったまま、フランディールは枕に顔を押し付けながらぐるぐると答えのでない問いを繰り返す。

 ――あれが恋でないというのなら、本当の恋はなんだというの?

 この胸に感じた喜びも苦しみも、悲しさも、どれひとつとして偽りはない。
 涙は乾いたけれど、目が腫れているに違いない。今から冷やしておかなければ明日なんて見るも無惨な顔になってしまう。夕食も抜いたので、正直な腹は空腹を訴えていた。
「……お腹すいた」
 失恋をしたあとだというのに、身体は本能で動いている。食事も喉を通らない、なんてやはり物語の中だけの話なのだろうか? それともフランディールは恋に対して薄情なのだろうか?
 侍女を呼ぼうかと考えるが、この顔を出すのは躊躇われる。キリルに連れられ部屋に戻ってきたときには、頭からキリルの上着を被っていたし、侍女たちへの説明は全部キリルがやってきれた。具合悪いのでそっとしておいてやって、とキリルが言ってくれたから、フランディールは泣きすぎて嗄れた声で話さずにすんだ。
 コンコン、とノックの音が聞こえる。誰だろうか、とフランディールは顔を上げた。
「フラン、起きてるか?」
 扉越しの声の主は、キリルだ。ほっとして「起きてる」と短くかすれた声で答えた。
「サンドウィッチと、果物もらってきた。腹減ってるだろ」
 何もかもお見通しなのだな、とフランディールは苦笑する。どうぞ、と答えるとキリルがひょっこりと顔を出した。フランディールと目があった瞬間に、ぷっとキリルが噴き出す。
「ひっでぇ顔」
「うるさいっ!」
 かっとなって枕を投げつけたが、キリルは器用によけてしまう。そのまま寝台の傍までやってきて、椅子を引き寄せた上で食事を差し出す。サンドウィッチと、果物、それからレモネードがある。
「食欲は?」
 ……やはり失恋直後の乙女は、普通お腹なんて空かないのかしら、と思いながらフランディールは「ある」と答えた。キリルはくしゃりと笑ってフランディールの頭を撫でた。
「なら大丈夫か。あ、あと制裁は加えておいたから」
「……制裁?」
「ん。渾身の一撃で殴っておいた」
「……まさか、ヒースを?」
「それ以外に誰がいる?」
 当然、という顔でキリルが答えたので、フランディールは絶句した。
「――っそれは、いくらなんでも、やりすぎでしょう!」
 フランディールを振ったから殴られる、なんてひどい理由だ。ヒースには非がないし、フランディールも叶わない恋であるだろうということは気づいていたのだ。
「やりすぎなわけあるか。振るにしたってもう少し言い方がある。あいつは大人の男なんだから。おまえを泣かせたんだからもう一発くらい殴ってもよかったかな」
 あとでまた殴っておこうか、なんてキリルが言い出すので、フランディールは悲鳴を上げそうになる。こんなに血の気の多い男だっただろうか、この従兄弟は。
「やめて、本当にやめて。嬉しいけど、殴るなんてひどいわ」
 泣きすぎたおかげで頭が痛いのに、別の意味でも頭痛がしてくる。
「本人が止めるなら、しかたないか」
 不服そうにキリルが諦めたところで、フランディールはようやく食事をとる。まったく、年上だというのに変なところで子供っぽいんだから。













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