金の姫と婚約者候補たち

第1章:恋ってどんなものですか?(5)






 フランディールは護られる、ということには慣れている。当然といえば当然だ。彼女は姫であるのだから。
 だが、ヒースが身を挺してまで自分を護ることには納得できなかった。なぜだろう、と考えたものの、答えは見つからないまま保留にしてある。
 考え事をしながら歩いていたせいで、フランディールは足元の段差に気づかなかった。つん、と爪先がひっかかってバランスを崩す。
「きゃっ」
 小さな悲鳴を上げたものの、フランディールが転ぶことはなかった。肩を抱き寄せられ、支えられている――ヒースに。
「お気をつけて」
 やさしい微笑みとともにそんなことを言われると、また心臓が締め付けられるように痛む。ここ数日、ヒースと接したときに頻繁に起きている。気づくと、ヒースは本当に些細なものからもフランディールを護ろうとしているのだ。それがくすぐったくて、嬉しい。けど危険なことはしてほしくない。矛盾している。
「あ、ありがとう」
 ヒースの手を借りてしっかりと立ちつつ、乱れたドレスの裾を直す。普段はそんなところ気にしないのに、最近はちょっと気になってしまう。ドレスは変じゃないだろうか。髪は乱れてないだろうか。なんといっても、今目の前にいる青年は美形家族で育ったフランディールが見ても文句なしに合格を出せる美青年だ。さすがに傍にいるとなると、自分の見た目も気になる。
「フラン! ヒース!」
 明るい声に顔を上げると、随分とキリルが手を振りながらこちらにやってくる。朝食のときには城の中から姿を消していたので、どこにいったのかと心配していたのだが。
「キリル! どこに行っていたの?」
「この辺を散策していたんだよ。わりと面白いもんがあってさ。ほら」
 キリルは見た目からはとても公爵子息と思えない格好で、服のあちこちには泥がついている。汚れたままの手でフランディールの髪に花を挿した。
「なにこれ」
 一瞬しか見えなかったので、どんな花かわからない。
「咲いていたんだ。好きだろ?」
 そう言いながらキリルは手にもっていた余りの花をフランディールに握らせる。オレンジ色の、小さな花だ。野草だろう。
「……ありがと。でも黙ってどこかに行くのはやめてくれないかしら。昨日あんなことがあったばかりなのよ? キリルの放浪癖は知っているけど、さすがに心配だわ」
「俺は強いから平気なんですよ」
 くしゃりとフランディールの頭を撫でて、キリルは欠伸をする。確かにキリルは強い。騎士団で一、二を争うほどの腕前のヒースと互角か、それ以上か。
 けれどそういう問題ではない。
「あのねぇ。一応今回は婚約者候補とみんなで仲良く過ごす、という目的があるのよ? それなのにあなたがいなくなっていたら意味ないでしょう?」
「おまえと婚約者候補が仲良くしているのが目的であって、全員が仲良くしている必要はないだろ。俺とおまえが仲良いのは十分知られている。つまりおまえはヴェルナーやヒースとの仲を深めれば良いってことだ!」
「屁理屈じゃないのそれは!」
 フランディールとキリルが言い合っていると、ふ、と笑い声が漏れる。今この場にいるのは、三人だけだ。フランディールは振り返ると、ヒースが笑いをこらえていた。
「……ヒース」
「すみません。本当に仲が良いので。兄妹みたいですね」
「よく言われる」
 けろりとした顔でキリルは答えた。よく言われるのも事実だが、婚約者候補としてその反応はどうなのだろうか、とフランディールは思わなくもない。まぁそんなことをキリルに期待しても無駄だろう。


 では、とヒースが去った背中を名残惜しそうに見つめるフランディールに、キリルはふむ、と呟く。
「おまえ、ヒースに惚れた?」
「は、はああっ?」
 思わず姫らしからぬ声を出してしまった。ここに母や兄がいたら小言を言われたに違いない。しまったと口を塞ぎつつ、キリルの問いが頭の中で木霊している。
「な、なんでそうなるの?」
「だっておまえ、変な顔しているし」
「変な顔って何よ!」
 これでも美少女なのよ、と頬を膨らませるフランディールに、キリルはくつくつと肩を揺らして笑う。
「まぁこれでも人生の先輩ですから? なんというか世に言う恋する乙女みたいな雰囲気をおまえから感じ取りまして」
「……なにそれ」
 キリルのふざけた口調に、これは冗談だな、とフランディールは結論付けた。面倒見のいい男ではあるが、同時に茶化したりすることも多い。
「ヒースに対する態度が変わったな、とは思う」
「そうかしら?」
「んー……なんとなく距離感あったけど、それがなくなってるな」
 距離、あったかしら。フランディールは考えつつ、キリルやヴェルナーに対するような気安さはなかったな、と思う。しかしそれは、以前から知っている人間とそうでない人間の違いだと思うのだが。
 ヒースとも会話を重ねて、だいぶ打ち解けたように……思う。
「けっこう年上だから緊張……していた、という気はするけど」
「緊張しなくなったと?」
「そりゃ、何度も話していれば。それに年上だけど妙に頑固だし融通利かないし、思っていたような完璧な人じゃないんだなって」
 あの若さで騎士団の副団長となり、顔も上等で周囲からの信頼も厚い、まさに実力でその地位までのぼりつめたとあって、どれだけ優秀な人なのだろう、とは思っていた。優秀であることに変わりはないが、けれど生身の人であると認識すると、肩の力も抜ける。
「……惚れたのかっていうけど、そもそも恋ってどういうものか、私わからないわ」
 だからわからない、と呟くと、キリルはめんどくさそうな顔をした。
「俺にその手のアドバイスを求められてもなぁ。他に聞いてみろよ」
「聞いたわ。 詩作の先生言うには、いつの間にか心のうちに住んでいる熱情。お父様は心を埋め尽くすしあわせと言っていたし、恋愛小説なんかは突然落ちるものなんですって。落ちるってどういうこと?」
「聞くな。俺に」
 苦々しい顔でフランディールの問いをぶった切ったキリルは長いため息を吐き出した。自分から始めたことだが、どうしてこんな流れになったのだろうと自問する。
「恋の定義はとても曖昧なものだと思うよ」
 そこでキリルにとっての救世主が現れた。本を一冊抱えて、ヴェルナーがやってくる。途中の会話が聞こえていたんだろう。
「どういうこと?」
「人それぞれということ。傍にいたいと思えたときとか、守りたいと思ったときとか、それこそ思うだけでしあわせを感じたりだとか、いろいろと本に書いてあるよ」
 ヴェルナーの解説を聞きながら、フランディールは「むむむ」と眉を寄せる。それではいつ自分が恋をしているのか、客観的な判断ができないじゃないか。
「だからフランも、あんまり考えすぎなくていいんじゃない。そのときになればわかるよ」
「そう、かしら」
 ヴェルナーは焦ることはない、と言いたいのだろう。しかしフランディールに許された恋する期間は二年だ。もし、今自分の心が誰かに傾いているというのなら、時間を無駄にしたくはない。あとで後悔なんて、嫌だ。
「ただ好きだって、そう思うこともあるだろうしね」
 理由なんてあとから見つかるよ、と微笑むヴェルナーに、フランディールはまた複雑な気持ちになる。まるでヴェルナーは恋をしたことがあるみたいだ。自分より年下なのに、何倍も年上に見える。それが寂しいような、切ないような、そんな気持ちにさせられた。













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